2007-05-21

ゼミの感想-5月21日

 今日のゼミの感想は一言でいってカオスでした。

 ワイマックスの事はSFCの授業で聞いたことがあったので、自分の思っていたイメージをより明確にしようと先生の言っている内容を理解しようとしたのですが、まず周波数が希少だということを初めて知り、周波数が国ごとに割り当てられたものだと言う事も知りませんでした。私がいま使っているネットやケータイがその割り当てられた周波数のごく一部だと解釈したのですがそれでよかったんでしょうか?またケータイに関して言えば日本の垂直統合的なつながりと、アメリカ(欧米?)の水平的つながりはどちらが良いとは一概に言えないグレーゾーンだと感じました。実際端末と契約相手が違うことでもっと端末の性能がよくなる一方で、垂直統合だと有利なサービス(電話帳をあずけるサービス)もあるので片方しか知らないのになんとも言えないなと思いました。
 
 福井さんのお話も「バランス」を考えることは文脈によって変わるから結局グレーなのかと感じました。この意味において「社会的実験」なのかなぁと思いました。だからパロディもオリジナルを排除するのではないし、パロディはパロディとしてひとつの作品であって、それを良し悪しで判断するのは利害関係における「バランス」やパロディの「程度」であり、まさにグレーだと思います。評価が時代によって180度変わってしまう事がありうるのも、評価というものが文脈によって決まるから相対的なものでグレーなのかと。
 サイゼリアで教育についてお話していた時に「死んだときに残すものは資産ではなく、子供があれをやった時に怒られたとか、親父が悩んでいた姿を見たとかそうゆうもの」だとおっしゃっていました。つまり、親が子供に残すものは物質じゃなくて心なのだなぁと思い、これは著作権でいうクリエーターとその作品の関係につながると感じました。「文化(芸術?)がすごいのは、何時間討論しても意見を理解できない人に作品ひとつを見せるだけでその人を変えることができる力をもっているから」だというのは、「変える力」が親の子供に残したい「こころ」であって、もしクリエーターの手から離れていったとしても、親が死んでしまったとしても、「変える力」や「こころ」が生き続けてくれることがクリエーターや親の喜びや幸せなのではないかと思いました。親子の関係は、クリエーターと作品の関係にとても近いのだと思うと、著作権はその「こころ」を守るためにあるのではないかと思いました。
 
 今日は全体的に「こうでもあれば、ああでもある」といった第三の立場を学んだ気がします。ブログよりも何よりもこの世の中がカオスなんだと感じました。そんな私も今頭の中がカオスで整理がついていない気がしますが、素直な感想です。

0 件のコメント: