2007-04-27

4月26日 ウェブ進化論の議論

今回で4回目(?)の、ウェブ進化論。

3月に実際に梅田さんにあって、いろいろな話を夜通ししていたので、いろいろバイアスが入って読んでしまいました。
一年前には、ウェブが将来どうなるかに興味があったんですが、最近は、ウェブが将来どうなるかはどうでもよくて、ウェブが進化したことで、自分たちの生活がどうなるのかが、気になります。一年間のゼミでその成長が一番大きいと思います。

ウェブ進化論の中では、最後の章の高速道路論がやはり一番気になります。
ウェブによって、誰もがプロフェッショナルになれるインフラが整っている(高速道路)、しかしその先は大渋滞で、その渋滞を抜けた後もけもの道になっている。その中で、好きなことを貫くことの大切さを感じます。
梅田さんの続著ウェブ人間論でも、触れていらっしゃるので興味のある方はどうぞ。

最後に、梅田さんとの(夜の)お話で一番心に残った言葉を紹介しておきます。
「Googleで自分のキーワードを3つ入れた時に、表示される順番が自分の価値なんだよ。」

金ゼミの場合は、「メディア融合、クリエイティブ産業」辺りでしょうか。

臨時ゼミの感想

ウェブ進化論は去年も今年もゼミで読んでみて、去年の視点から読んだときと今年の視点で読んだときとで、少し違いがあったようですね。私は今年読みましたが・・。「メディアの世界はどんどん変わっていくので、知識だけあってもどうしようもない」というのが少し実感できたかなと思います。先輩方の話によると去年読んだときのほうが驚きが大きかったようなので。

この本を読んだときにはグーグルってすごいんだぁと思いましたが、実はSNSと比べたときに欠点もあるのだと、今日のゼミで知れて新たな側面がわかりました。

でも、ウェブ進化論は読みやすいし今メディアで起こっている変化が大体書かれているので入門書みたいな感じでメディアの勉強をはじめるときに読むにはちょうどいいかと思います。

今日はいつもより人数が少なかったけど、議論は勉強になります。
次は休み明けですかね。

金先生はパーティーに間に合ったのでしょうか?笑
では、みなさんおつかれさまでしたぁ♪

2007-04-26

臨時ゼミの感想

Web2.0になって世の中の誰もが「発信」出来る立場になり、
そういった人々がつながる事で新しい何かが生まれる。
というのが梅田さんが言いたい事なのだろうと思いました。
梅田さんは「総表現時代」に可能性を感じている一方で、
結局は既存メディアは残っていくと言っているのが
私は少し矛盾しているなと思ってしまいました。

個人的な反省なんですが、準備が足りなかったと思います。
本を読んだら読みっぱなし、感想もあげたらあげっぱなしで
自分の中で消化出来てないというのがゼミの冒頭で
個人の感想を求められた時に自分の意見を上手く言えなくて実感しました。
次からはちゃんと準備をして、いい参加が出来るようにしたいと思います。

臨時ゼミの感想

今日の臨時ゼミでは、改めて、みんなそれぞれの視点、
その鋭さに気付かされました。

誰もが発信できるようになると、メディアリテラシーの
ない人も自己発信に参加するようになり、
面白おかしい意見や過激な意見がもてはやされるように
なるのではないかという問題提起がありました。
また、逆に、Googleの中で何かしらの意図があって除外される
サイトがあるとしたら怖いという意見もありました。
Google八分という言葉を聞いたことがありましたが
まさにこのことなのかなと思いました。
Googleは違法行為に該当するサイトを除外すると
言っているだけで、その詳細は分かっていません。
国別にGoogle八分になるサイトは違うようです。
特に中国では中国政府の思惑が大きく絡んでいる
という話もあります、本当かどうかはわかりませんが。
Googleは人を介さない、機械的でアルゴリズムという
ところが特徴のはずなのに、恣意的な操作がある
というところに、Googleも民衆のリテラシーを信用して
いないところがあるのかなと思いました。
また、梅田さん自身も、結局『出版』という形で
既存のメディアに頼っていて、「総表現社会」の可能性
というものを強く信じていながらも、ITメディアが既存の
メディアに取って変わる存在ではなく、補完しあう存在である
ことを認識しているのではないかと思いました。
どちらのメディアもいいところも悪いところもあって、
それを上手く使い分けたり、足りないところを補っていくことが
大事なのであり、「本屋かアマゾンか」ではなく、
「本屋もアマゾンもどっちも」の世界になっていると思います。

4月26日(木)、臨時ゼミの感想

今日は臨時ゼミということで、参加したのは8名。
先生との距離も近く、結果的にはよかったかなと思いました。

今回の議論について、自分が考えたことを少し補足したいと思います。

例えば、ブログに掲載された作品の評判が口コミで広まり、実際に書籍化されるといったことがありました(「実録鬼嫁日記」など)。このように、何かを書くことへのハードルは確実に低くなっています。直木賞や芥川賞などを狙いに行くわけではなく、日常を記していたものが話題になったということで、わりと気楽に(こういったら失礼かもしれませんが)、参加できるようになったことは評価されるべきだと思います。

しかし、それでも既存のメディアは、ある程度力を維持すると考えます。
というのも、何かニュースに対してのコメントや意見表明をBlogで書く場合、新聞やテレビなど既存のメディアに頼る部分が少なからずあるからです。
世界中のブロガーが、身の回りで起きている事件について記事を書くということがあればよいのでしょう。しかし『ウェブ進化論』でも言及されているように、Blogで得られる収入は、高くても月10万円程度と、「産業」として位置づけるには脆弱な部分が残されています。
そうして世界中のBlogを寄せ集めて、管理し、配信するということができれば、Googleもマスメディアとして、新聞や雑誌などと並ぶ存在になるかもしれません(「オーマイニュース」のような感じ)。その場合は、Googleが自動編集システムの構造をオープンにするなどといった新しい問題も出てくるでしょう。それらが解決されない限りは、Googleが信頼のある機関になることは難しいと考えます。既存のメディアはプロの集団として、一定の権威を保っているからです。

また、金先生が「本の中で著者が本当に伝えたいことはそんなに多くない。それを1~2行くらいでまとめられるようにしなければならない」といったことをおっしゃっていたのが印象的でした。
自分はこの本から、GoogleやAmazon、Web2.0やロングテールなどといったことに驚くばかりで、メッセージを読み取るといったことにはあまり意識がいかなかったような気がします。
「自己投資の重要性」についてもおっしゃっていましたが、今の段階ではまだまだ知らない部分が多いので、本をたくさん読んで視野を広げていきたいと思います。

最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
読みづらかったら、すみません。

梅田さんのブログ

知っている人も多いと思いますが、ウェブ進化論の著者の梅田望夫さんのブログを紹介しておきます。

My Life Between Silicon Valley and Japan

最近僕が気になったエントリーはちなみにこちら

英語で読むITトレンドというコーナーが個人的には好きです。(最近更新が無くて寂しいですが)

2007-04-25

ウェブ進化論

陽が昇ってしまったー!
でも一応書いたので皆さんに読んで頂きたいです。

●議論したい点
グーグルのアドセンスは果たして経済格差是正を実現することが可能なのか?

『グーグルはこの検索エンジンを手始めに「知の世界の秩序」の再編を目論んでいる』(p.14)この大きなビジョンから落としこまれた目標が「経済格差の是正」であると位置付けられていました。本書の中で梅田氏はグーグルのアドセンスによる「富の分配」メカニズムが、地域的な概念をも超越してこの問題の解決につながるという論理を展開されていました。発展途上国であれ、先進国であれいわゆる「あちら側」の世界で掛かる費用は同じであり、特に生活水準の低い地域ではブログ収入の及ぼすインパクトが大きいというのが主な主張であったと思います。だいたいp.159~160。

ここで僕が一つ疑問に思ったのは、これは対象となっている人間がコンピューターと完全なインターネット環境を持ち合わせているという前提条件の下組み立てられた論理であるという点でした。

例えば日本というインターネット普及率の高い地域内で起きている、多少の貧富の差であれば是正できるかもしれません。つまり対象者がインターネットを使用することが可能であり、アドセンスを利用する機会があるという条件にのっとっています。同等の機会が提供される場合誰もがブログ設立が可能であり、アフィリエイトやブログ内アドセンスによって収入を得ることができるため(ただ梅田氏の言うとおり、どんなに頑張っても月10万円程度なので、先進国内でもそれほど大きな経済格差に対するブレークスルーにはならないように思えます…)

しかし発展途上国では今回の事象は当てはまるのでしょうか。大前提として発展途上国においてPC所持率、インターネット普及率は非常に低く、ブログ設立自体ができない状況が推測できます。探していたら以下のような記事が検索できました。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0611/17/news066.html
仮に「あちら側」でのコスト的な条件が平等だったとしても、人々がそこまでたどり着くことができなければそもそもの意味がないように思えます。冒頭部分で著者自身が書いているように『「住む人」と「使ったこともない人」の溝は大きくなるばかり』(p.24)というのはまさに、発展途上国と先進国の間に存在する溝を意味しているのではないでしょうか。

まず早急にしなくてはならないのは、インフラ整備。それが完了して初めてアドセンスの持ち味が発揮されるような気がします。今回の梅田氏の論理は「持てる人」の考えであり、あまり途上国の現状を考慮していないように感じてしまいました。

以上の点からグーグルの「経済格差是正」について疑問を感じてしまったのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか?木曜日は参加することができないのですが、是非意見をお聞きしたいです。

web進化論:論点

約1年ぶりに読んだweb進化論。
メディア融合?web2,0??そんな言葉をほとんど聞いたこともなければ詳しく知りもしなかった1年前。

当時は、この本の中に書かれている内容にピンとせず、それでもってただただ「すごいことになりそうだぞ!」と興奮したものでした。

それから1年、今はこの本のテーマ・事柄が確実に私たちの身近なことだと確信する一方で、それらについて、より冷静に考えるようになっている自分がいます。

以下、木曜日に議論したい点です。

・チープ革命がもたらした「誰でも表現できるようになった」、「開かれた可能性」…は真実か?
~新規参入が困難で未だ強い権力をもつ日本のマスメディアについて。

・従来、機密情報であった独自のソフトウェア。オープンソースとして公開する側にとってのメリットは? ~無償サービスが意図するものについて。

・見知らぬ人同士の価値の創出「マス・コラボレーション」について今後も拡大するか?  ~ネットに向かって能動的知的活動を行なう人が果たしてどれだけいるだろう。

ウェブ進化論の感想

 ウェブ進化論を読んで。木曜日は出席できないですが、一応感想をアップします。

 率直な感想は、これからの時代はネットをいかに上手く利用するかが鍵であると再認識させられた。細かい点はみんながブログに書いていたので、俯瞰した立場から意見を述べたいと思う。
僕らは、ネットの世界が進化することによって、もたらされるメリットとデメリットを真剣に考える必要があると思う。この本の第二章ではグーグルを崇拝しているように感じたが、読んでいて少し怖いと感じた。グーグルのミッションは、世界中の情報を整理し尽くすことであり、世界政府があったなら開発しなければならないシステムを全部作るのがグーグルの役割とこの本には書いてある。彼らは、ネットの出現により、言論や表現に多様性を生んだ、ウェブの民主主義を導入したと考えているだろうが、果たして本当にそうだろうか。ある部分は正しく、ある部分は間違いであると思う。私の意見としては、まだまだ検索サイトには限界があり、逆に検索サイトの頭に挙がってきたものの情報の影響力が大きくなり、意見は集約されるような気がする。一つの所に情報が集まり過ぎるのは危険だ。加えて、彼らは人間の介在を極力避けたいと考えているらしい。この本の中でも、ヤフーとの違いの中で言及されている。そして、彼らはグーグルアースを開発し、世界を監視することも始めているらしい。これらを聞いた時、私はある一本の映画を思い出した。スタンリーキューブリックの「2001年宇宙への旅」である。映画の中で描かれたHALによる監視社会はもうじき現実のものとなるのだろう。もうなっているのかもしれない。
 確かに、グーグルは新しい広告のシステムやもう一つの経済圏を作り出すなど、様々なメリットも生み出している。その点において、完全に彼らを否定することはできない。しかし、これ以上の便利さ・快適さ・お金儲けが人間にとって必要なのだろうか・・・。資本主義社会の上に生きている僕らは、新しい価値(便利さや快適さ)を産み出して利益を獲得し、生活をするほか生きる術はない。ここに資本主義の落とし穴があり、恐ろしさがあると思う。この資本主義社会において、誰にも発展を止めることはできないのだ。今後どのようにネットと向き合って生きていくか。人間の倫理観がどこまで持続可能か。そこに人間の未来がかかっていると思う。この本の最後にもあるように、忌避と思考停止は何も生み出さないことを肝に銘じるべきなのだろう。著者から言わせると私は忌避と思考停止の状態なのかもしれない。しかし、これだけは言える。ネットの更なる発展により、今以上の便利さと快適さがもたらされることで、人の心は少しずつ失われていくと。最後に、この本があまりにもグーグル一神教であったので、疑問に感じました。物事は両面から見ることが大切だと思います。

オリエンテーション合宿~ヘタレの意識改革~

もっと貪欲に行動すればよかった、というのが正直な感想です。

岸先生の講演やOBOGの方々との対話、懇親会などすべて受動的に情報を得ていただけで、もっと能動的に探究していく姿勢を持ってもよかったのではないかなと後悔しています。これだけいい機会が提供されたのに何もしなかった(できなかった)自分に少々歯痒さを感じます。恥ずかしさを捨て、大いなる積極性を持つべきなのですね。岸先生の講演に対して金先生のおっしゃっていた「では新しい世代を担う私たちがどうしていかなければならないのか」という点にもあまり考えが及んでいなかったように思えます。残念無念・・・。

ただその中で唯一今回の合宿で満足のいくことのできたことがありました。それが多くの先輩との出会い、自分の中で大きく意識改革ができたことです。今回合宿期間中、ゼミの枠を超えて様々な先輩とお話しさせていただきました。皆さんそれぞれ明確なビジョンを持ち、そのために今やらなくてはならないことは何かという具体的なアクションまで落としこんでいることに非常に驚きを感じました。ある人はコミッティーに参加することで必要なスキルを養い、またある人はゼミ代表として研究所を纏め上げ、経験を身につける。将来へ向けて、今を有意義に過ごせていると強く感じました。

では自分の場合はどうなのか?
やりたいことはとてもはっきりしているのですが、そのために今やるべきことを逆算して考えることができていないように思えてしまいます。合宿のようなウジウジした姿勢では得られるものも逃げてしまう。せっかくの貴重な環境の中で漠然と日々を過ごしてしまうだけではもったいない。もっと目的意識をしっかり持とう、この環境でのひとつひとつの経験を大切にしていこうという思いを改めて持つことができました。合宿で得ることのできた最も大きなものだと認識しています。

ヘタレからせめて準ヘタレくらいにはレベルアップしたいものですね。
では失礼致します。

ウェブ進化論

「ウェブ進化論」を読むのは2度目でしたが、
1回目に読んだときは、いまいち頭に入っていなかったのか、
今回読み直してみて、すんなり理解できる部分が以前より
多くなったように思えました。

*議論したい点*
2つ挙げたいと思います。
まず1つ目は、塚田さんも挙げていましたが、
表現行為がマルチメディア可していった場合の
「検索エンジン×自動秩序形成システム」 
についてです。
グーグルのように徹底的なテクノロジー志向がいいのか、
それとも、ヤフーのように「人間の介在」が必要なのか。

例えば、自分で作った音楽を投稿サイトに投稿したとする。
誰も自分の作った曲なんて知らなくて、もちろん「曲名」も知らない。
「作曲者名」でも、「曲名」でも検索されないとしたらどうするべきか。
自分の曲を好きそうな人に聞いてほしいと思う。
自分の曲と同じジャンルを好きな人が自分の曲を好きな可能性が高い。
自分の曲を自分でジャンルに振り分けるしかないのではないか。
アメリカのSNSであるMySpaceからデビューするミュージシャンが
現れたりしたのは、SNS内のコミュニティで同じ趣向の人が集まり、
コミュニティ内の「クチコミ」で人気が徐々に広まっていったからではないか。
「音楽」という大きいくくりでなく、それをさらに細分化し、
その中でコミュニティが発達することで、人気ランキングやレビューが
より有効になっていくと考えられる。

次に、
ソーシャル・ネットワーキングは「人々をテーマごと、局面ごとに評価する」
という「人間検索エンジン」に発展するのか。
(p.201)

「巨大な人間関係マップ」を構築しているはずのソーシャル・ネットワーキング。
そもそも「テーマごと、局面ごとに評価する」とはどういうことなのか。
「評価」の基準となるのは、「いかに多くの人と繋がっているか」ということになるのか。
しかし、「リアル」な繋がりだけでなく、「バーチャル」な繋がりも少なくない。
ここで最終的に頼りになるのは、やはりレコメンデーションではないか。
最近では本名を隠すことも多く、「リアル」な紹介文によって信頼性が増す。

以上の2つの論点ともに、レコメンデーションなどの「人の介在」が
重要ではないかと考える。

2007-04-24

感想及び、議論したい点

以下、読みづらかったらすみません。以下の点について、議論したいと考えています。

●日本において、ブログが「メディア」のひとつとなりうる可能性について 

現在、専門家が本格的な記事を扱ったものや、芸能人が日記感覚で綴ったものまで、多種多様なブログが立ち上げられています。梅田望夫氏の「ウェブ進化論」という著書でも、ブログが「総表現社会」をもたらし、またそれが読むに値する内容かどうかを判断するシステムの開発も進んでいるといいます。 

記憶に新しいところでは、「きらきら研修医」(TBS系列)や、「鬼嫁日記」(フジテレビ系列)などのテレビドラマでしょう。これらの原作は、いずれもブログに綴られた内容が書籍化されたものです。まさに、プロとして認められていない人物による作品がブログを通じて認められたケースといえます。

これほどまでに至らなくとも、「人気blogランキング」などのサイトを見れば、かなりのアクセス数を稼ぐブログが数多くあり、中には個人サイトとしてはページランクの高いものもあります。加えて、芸能人のブログに取り上げられた商品が、実際に人気となるというビジネスモデルが生まれる可能性もあります。

いっぽうで、記事に対する信憑性や、内容を管理するしくみ(そこに人間を介さなくてよいのかということを含む)、既存メディアと比較した場合のインターネットへの信頼性、デジタルデバイドなど、問題点も考えられます。

ブログが新聞や雑誌などと並ぶメディア産業に成長することはあるのでしょうか? もしあるなら、考え得る問題点をどのように克服すればよいのでしょうか?

☆合宿について☆

 合宿ではいろんな人と触れ合えてよかった。といえたらいいのですが、実際は自分の殻も突き破れないひよっこでした(つまりただの卵)。自分には意思伝達能力がないと気づきました。その辺は金ゼミで鍛えたい所存です。
 私はゼミのなかで三田祭係に就任し、しかも渉外企画部にはいったので、秋学期は大変だと思います。
 まぁー合宿云々よりも合宿費と現地集合ということに憤りを感じました(笑)。

web進化論

 議論したい点
私には議論したいことが二つあります。
①インターネットが既存メディアに取って代わるのか、それとも既存メディアの影響力は未来でも強力なのか
②googleはほんとに経済格差を是正するのか
以上の二点です。
 感想and意見
まず①について
 インターネットは能動的な媒体で、既存メディア(特にテレビ)は受動的な媒体です。文章中にあったようにインターネットには自動秩序形成システムが発達しており、能動的部分が少なくなってきています。しかしインターネットの性質上、能動性をゼロにすることは無理です。自ら情報を知りたいという知的好奇心旺盛な人はネットを多用するであろうが、大衆皆がそうとは限らない。むしろ受動的な人が多い。こういった点を踏まえてテレビはしばらくの間は大衆に強い影響力を持つであろう。
 既存メディアの中でも新聞は衰退するであろう。なぜなら新聞はテレビと違って文字を読むという能動的動作を必要とする。また新聞というのは金がかかるものである。よって大衆はインターネットやフリーペーパーに移行する。アメリカやイギリスの現状を見れば明らかであろう。

次に②について
 googleは経済格差を是正できると主張しています。しかし、それは総表現社会の人間、すなわちネットを使ってる人だけに限ります。現代社会で起こっているのはデジタル・ディバイドと呼ばれネットユーザーとネット非ユーザーの情報収集力はくっきりと現れ、それどころかその差は大きくなっています。確かにgoogleの分配システムを利用して富裕層は増えるであろう。しかしその分、ネット非ユーザー、受動的人間と総表現社会の人との経済格差はデジタル・ディバイドに比例するであろう。

ウェブ進化論

岸さんの講義に始まり、作文、OBOGの方々の体験談など、とても勉強になる2日間でした。
頭を使ったおかげで、夜はよくねむれました。

●感想●
ネットについて、よくわかっていないので?なところもあると思うので、気づいた方は教えてください。
「ネット世界とリアル世界の二つの価値観」について、梅田さんが提示していましたが、ネット世界・リアル世界について細かくみていくと、様々な対立軸がみえてきました。
しかし、気になったのは日本のネット産業と既存の企業は根本的な部分は同じで、対立軸にはなかったということです。ネット産業といっても、従来の日本的な考え方―「開放性」を限定し、閉鎖的な空間で、リアル世界に重きをおく―で活動している。
既存の産業も、リアルな世界ではまだ、たしかに続いていくでしょうが、しかし自分たちからネット世界の価値観を否定し、現状に安住したままでは、融合どころかおいてきぼりにされてしまうのは目に見えています。
 グローバリゼーションも、最初は国家や多国籍企業が台風の目となって起こってきましたが、現在のグローバリゼーションは「個」が中心となって起きているといわれています。技術の革命がそれを可能にしたのです。いままで軽く見られてきた不特定多数の個の行動が、新たな価値を創出していけるということに、驚きとともに感動しました。そして、想像される厳しい自由競争に対して、恐れすら感じました。(こういう所が、楽天主義になりきれていないのだと、つくづく思います・・・)
 「次の10年」を生きていくために、自分の「個」としての可能性を広げていく努力をしていきたいと強く感じました。

●議論したい点●
日本のウェブ産業と既存の産業(とくにメディア)のこれからすべきこととは何なのか?

オリエンテーション合宿の感想

オリエン合宿は有意義で、あっという間でした。

岸先生の講演では、斬新な(新鮮な)問題提起が数多くなされ(アニメ産業や広告業界、あるいは日本とアメリカとのインターネットに関する姿勢の違いなどに関して)、とても興味深かったと思います。今度はそれに対し、金先生もおっしゃっていたように、「では自分ならどのような対策をとるのか」ということを意識できるようにしていきたい、と思いました。
OBOG懇談では、「もっと遊んでおいたほうがよい」とおっしゃる人もいれば、「もっと勉強しておけばよかった」とおっしゃる人もおり、「どうすればいいんだ!?」と一瞬思いましたが、それは自分で決めること。大学でのゼミや講義、読書などから得られるものは数多いと思いますが、遊びから得られるものも多いでしょう(一番最初のゼミでそんな意見があったような……?)。
どちらかに偏らないのがよいとは思いますが……、なかなかうまく行かないのかもしれないと、話を聴いていて思いました。

鎌倉には、昨年の12月25日に地元の友人と行ったことがあったのですが、今回は行ったことのない所をいろいろ見ることができました。
鎌倉という観光地の奥深さを知りました。まさに「満喫した」という感じだったと思います。

最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いします。

オリエンテーション合宿

お疲れ様です。
オリエンテーション合宿は2度目ですが、
金ゼミとしては初めての合宿だったので、すごく楽しみでした。

岸さんの講演で感じたことは、岸さんの『実行力』。
DMCの授業でもありましたが、
Innovation≠creativity であり、
Innovation=creativity+action なんだと思いました。
いろんなideaを考えている人はたくさんいて、
でも、それを実行に移すとき、様々な困難があり、
その困難をどうやって乗り越えるかが一番大事だと思いました。

夜中は部屋で真剣に将来の話や就活の話をしていたと思いきや、
ヤモリやイモリの話で盛り上がって、合宿の夜らしい夜でした。
OBの方もおっしゃっていましたが、メディアコムで出会った仲間は
お互いに刺激を与えつつ、成長し合え、いろんなことをぶつけ合える
大事な仲間だと思います。

寝不足で臨んだ2日目の鎌倉遠足では、
山登りが予想以上に険しい道のりでビックリしましたが、
いろいろ話しながら登っている間に、みんなのいろいろな
一面が見えて、とても新鮮でした。
ちなみに、ワンダーフォーゲルの語源はwonderfulだと
勝手に思い込んでいましたが違いました。

ウェブ進化論を読んで

自分が一番興味を持ったのは「知の世界の秩序の大変化」というところ。
いままで情報が一方通行だった世界が、ブログ等を用いることによってとんでもない数の人が発信者になれる。つまり誰もが教育者になれるということだ。例えば10代の若者が、50代の人に株を教えることだって可能である。こうなると、既存の権力は失墜する。文部科学省が用意した教育プログラムを受けなくても、ネットで学習できる。テレビメディアに一方的に与えられてきた情報も大きな意味を持たなくなり、ネットを用いて自分で莫大な情報をとりにいける。政府または組織が中心にありそれに服従する形で成り立っていた社会が崩壊する。このような脱中心化によって個はバラバラになり、誰からの影響も受けずに自分で拾ってきた情報によって考えを持つ。この拾われる情報をGoogleは民意といい、民主主義を確立すると主張する。これは本当に民主主義なのだろうか。


議論したい点

Googleの目指す民主主義は本当に民主主義か?

脱中心化し既存の権力が失墜した世界(個が組織を離れバラバラ)は是か非か?また果たしてそのようになるのか?例えば学校教育は?

(ちょっとテーマがでかいというかまとまってないような・・・)


もっと視点を絞った点で気になったこと

オープンソースの著作権は? 誰か最後に持ってっちゃわないのか。

質問
P37「一億人から三秒弱の時間を集める・・・・一万人がフルタイムで働いて・・・・」
理解できなかった。

Gメールの仕組み。自分はyahoo mailがどこのパソコンからでもアクセスできるから「あちら側」にあると思ってました。

P92「半導体に飛びついて電子立国を確立したのに、なぜインターネットに飛びつけなかったのか?」
(自分でも考えてみます)

オリエンテーション合宿

合宿楽しかったです。くずきりおいしかったです。

合宿で興味深かったのはOBOGの方々のお話でした。

お話・・・というか顔つきでした。

みんな女性誌なら女性誌の、フジテレビならフジテレビの、新聞なら新聞の顔つきをしていたように思いました。就職すると就職先の顔つきになるのか、就職先に合う顔つきの人が内定するのかはわかりませんが、びっくりでした。自分は四名のOBOGの方々を、紹介される前にどこの会社か当てられた気がします(笑)

どういったところが評価されたのだと思いますか?という質問に対し、フジテレビの方の回答が印象的でした。
「自分のあまりがつがつしないで、一歩引いて見ているところが評価されたらしいです。」

就職面接というと、ポジティブで自分を思いっきり主張する人が評価されると思っていましたが、企業のその時々に求める人材は色々なんだなぁと思いました。

だから本当に大切なのは、自分のいいところを伸ばしそれに確固たる自信を持つことだと思いました。
それでも、落ちます。それは企業がそのとき自分のよさを必要としない状態だからなのだと思います。というかそう思うべきだと思いました。

って二年坊主が就活を偉そうに語るな!って感じですが、自分の中のプチ悟りが訪れた瞬間だったので書き込んでおきました。

ウェブ進化論

感想

・全体的な感想
 
 「ウェブ進化論」を読むのは今回で2度目だった。2回目だから理解でした部分も多かった気がする。

 この本を通して持った感想が、ネット内で大変な変化が起きていて、その変化の時代に私たちが生きていること認識しなければならないのだ、ということだ。大きな変化を実行したのは始まりは小さな企業で、発想の転換がこんなにも大きな波紋をもたらすのだ。多面的な見方をしたいとか、色々新しいことを想像したいとか、誰もが思うだろうし、少なくとも私は思うのだが、それが目の前にいまこのブログを書いているコレ自体がその賜物だと思うと、すごいなぁと感心してしまう。ただ、これをその感心だけで終わらせずに、自分の可能性を信じて岸さんの言う「若者のパワー」を増大させていこう、そうするんだ!と実行していかなければならないのだ。


・新しい富の分配システム

 断片的な時間や労力、金銭だとしても、大量にそれらが集まれば、大きな時間、労力、金銭になり得る。そして、それを集めるシステムとしてのアフィリエイトがある。私もアフィリエイトには以前興味があって少し調べたことがあった。主体的にネット内の知を検索するための検索エンジン、能動的にネット内の知に出会わせるためのアドセンス、アドワード、それでお小遣いを稼ぐアフィリエイト。能動的に動けば、地域・年齢・人種などの区別なしに富が配分される。これは一見とても良いシステムだと思う。しかし、議論したい点①に述べたように、これは本当に富の分配と言い切れるのかといったら違うと思う。私が捉えたのが狭義だったからかもしれないが、アフィリエイトがどこかの企業の利益につながっているうちは本当に世界規模での富の配分はされていない。

 ただ、現在は難民の子供を救うための http://click4thecause.live.com/Search/Charity/Default.aspx というサイトもある。この検索エンジンがどのようなシステムで運営しているか分からないが、これに代表されるような提供側は利益を求めないが、富を配分するという考え方の方がしっくりきた。

 しかし、いずれにしよアドセンスの登場、アフィリエイトの活躍で断片的な金銭が集めればちゃんとしたお金になるというのはすごいことだ。


 


議論したい点

①世界レベルで見て、大前提としてのPCの普及の格差はうまるのか

 WEB内でのコペルニクス的転回が起こっている一方で、PCそれ自体が全世界的に普及しなければ、グーグルが目指すような「世界中の知を整理つくす」 しても、「先進国では供給地獄とみる仕組みも、発展途上国では天恵」(p.160)であっても、結局はPCがなければ意味がない。

 先進国ではネットの接続環境も、PCの普及率も高いが、本当に「ブログが天恵」である国には、PCすら普及していないのではないかと思う。

 PCはそうゆう発展途上国でも普及しうるのか?また、普及するとしたらどのような形で?そもそも、読み書きができない人がPCを扱うために必要な教育は整備されるのか、また要るのか。


②装置自体の信頼性は?

 本書では、システムがもたらす内容に信頼性があるかどうかは多く書かれているが、その装置自体はオープンソースで作られたので、精度が高いとしか言ってないように感じられた。

 グーグル、アマゾンのもつ検索エンジン自体を作っているのは人間である。機能性の高さは認められるが、最終的に完成したとき、たとえば作り手の意図したように検索結果がでることはないのか。(他にも、アドセンスだったら、装置が選んだ広告が宗教的なものだったら、影響が大きいだろう。)もしあるとしたら、全世界的に影響が及ぶため、危険性が高い。それを回避する方法は?


(③「あっち側」「こっち側」では次にくるのは「~側」か)

 今まで「こっち」しかなかったネットが、WEB2.0によって「あっち側」ができ、グーグル、アマゾンが出てきた。そして梅田氏は10年スパンで変化することもいっている。現在中学生2,3年の世代が作り出す未来の「~側」は何か考えてみたいと思った。ある意味でパラダイムシフトした若い世代と、シフトしきれていない老年世代のギャップは埋まるのかも討論したいと思った。

 ただ、未来の予測、想像なんて到底難しいと思うし、私も実際考えてもでてこない。よって()にしました。

オリエンテーション合宿(4/21~4/22)

合宿お疲れ様でした。

通常の生活に戻ってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。

オリエンテーション合宿ですが、やはり岸さんの講演会がとても刺激的でした。
よく言われていたことではありますが、今まで取材する側(記事を書く側)のお話を聞く機会はたくさんありましたが取材される側(記事をかかれる側)の、特に政府の中心にいた方でそういった立場の方のお話を聞く機会というのはあまりなかったので、特にそう感じたのかもしれません。


日本のメディア産業のビジネスモデルを考えると、とにかく古い。
でも、現在は一応「安定的」なものである。でも、10年後、20年後にこのまま「安定的」であるかというとそうはいえない。


我々にとって必要なのは、「日本のメディア産業のビジネスモデルは全世界的に見て古く、それはかなり強固なものになっている。しかし、それは未来を考えると必ずしも信用できるものではない。では、どうすれば変化させられるのか?もしくは、“新しい”力のもとで、既存のビジネスモデルを維持して安定的でいられるのか」

を考え、その結果を実現に向かえるような人材になることだと思いました。

実現する力をもてるくらいにならないといけませんね。

あとは、ゼミの中ではある種常識となっている「Googleの本質」認識を僕は今回ゼミの外で初めて言われたので、なんだか不思議な感覚を受けました。

他にも書くべきことはある気がしますが、今この瞬間には思いつかないので、いつか他愛のない話の中でできたらなって思います。


他にもオリエンテーション合宿で楽しかったことはたくさんありました。
久々に4年生に会うことができたし、彼らと飲んだのはすばらしい思い出です。なんだか先輩っぽくなってしまった中で「後輩」としていられるのがとてもうれしかったです。

来年は、ぜひとも内定をげっとして逗子にご挨拶にいけたらなと思います。

いつもとは違う感じでモチベーションがあがりました。


鎌倉も楽しかったですね。
おみくじは大凶だったし、源氏山では滑り落ちるかと思ったし、銭洗い弁天で洗った銭はもはやつかってしまったけど、ああやってゼミでどこかを歩くっていうのはあまりないので、あのような時間も大切にしたいなって思いました。


では、これからもよろしくお願いします!これからさらにがんばりましょう!

お疲れ様です

銭谷です
運悪く留学の面接試験とオリエン合宿が重なってしまって
参加できませんでした...本当に申し訳ないです><
感想を見ると、とても有意義な時間を過ごされたようですね
情報を伝えてくださった方、ありがとうございます

○ウェブ進化論の中で議論したい論点○
p.159の「荘表現社会で表現者は飯が食えるのか」のなかで
筆者は「新しくできるかもしれない秩序」という言葉を使い
今までは既存メディアに依存してきた先進国の表現者のあり方が
変化していると述べている。
それと同時に「消費者天国・供給者地獄」という、表現者にとっては
「新しい秩序」が必ずしも有益でない可能性も述べ、
表現者が経済的安定を求めるならば、相変わらず既存メディアに依存するだろうとも示唆している

まず、ここで考慮しなければならないのは
既存メディアに依存する「表現者」という概念についである。
筆者が言う表現者とは、一体どのような表現者であろうか。
このトピックのなかでは、表現者の1つとして、アドセンスとアフィリエイトで収入を得るブロガーを挙げているが、
現在のWEBの中にある表現を考えてみただけでも、ブログだけではなく、写真・動画・絵画・音楽・小説
色々な表現が考えられるだろう。
確かに、そのどの表現をとっても、表現者たちは、既存メディアに依存しているといっても過言ではない。
もし新しい秩序ができ、表現者から消費者にとっての新たな伝達手段が生まれたなら、表現者にとって活躍する場は広がりそうである。
YouTubeなどで個人がとった動画をupすることも可能であり、様々な個人の表現者たちの表現がネットには溢れている

1つの例として、flashアニメ「やわらか戦車」はライブドアのコンテンツ「livedoor Internet Animation」で
公開されたことをきっかけに人気を博した。flash動画というメディアを超え、フィギュアや書籍という形でも展開した

http://anime.livedoor.com/movie/7c2b96541747b374/

ではなぜ、このような、新たな秩序が生まれたのに関わらず
筆者は、既存メディアに依存する表現者という構造が、かなり遠い将来まで崩れないと言っているのか
この新しい秩序は、今の表現者たちにとって、どのような影響を与えているのか


●議論点●
「新たな秩序」の中においての、現在の表現者たちの現状
これからの、表現者と既存メディアのあり方

メディアコムの合宿@逗子

今回は2度目の合宿で全体的に前回より楽しめたと思います。

特に、岸さんの講演は印象的でした。
メディアをもっと良くしたい、という強い目的意識と自信を強く感じました。

  • U.Kでは新聞広告をインターネット広告が抜いた
  • Wallstreet Journalでは、ネットの速報性への対抗意識から、ニュース分析を紙面の50%まで増加している
  • Virgin Storeでの音楽関連グッズ、ライフスタイルを提案し、販売額を唯一維持している

などの成功例を上げ、それに比べて古いビジネスモデルの維持に懸命な日本のメディア産業を憂いている様子が伝わってきました。それだけ期待している、ということでもあります。

U.Sの放送局がネットを取り込み、YouTubeと敵対しているという見方には少しひっかかりました。しかし、attention economyの中、集まる場(platform)が重要であるという意見は的を得ていると思います。制作側が適切なリターンを得られる環境をつくらないといけないという課題も意識させられました。このままでいいのか、考えさせられる講演会でした。

夜は3時過ぎまで語り、寝不足。
本音で話せる人間関係がほんとうに大切だと感じました。

鎌倉も楽しかったです!
食べ物は美味しかったし、2年生の名前とキャラクターもだいぶわかってきて良かったです◎

合宿の感想

合宿の2日間は本当に充実していました。

その中でも充実していたのは2つあります。

  • 岸さんの講演
  • OBOG懇親会(読売新聞)
二つは、自分がこれからどう行動すべきか、意識すべきかという疑問にヒントをくれました。

岸さんの講演
内容は勿論、岸さんという人間に感動しました。「見えないものごとが見える人」が岸さんだと思います。圧力に負けない、自分の「真理」を頼りに「当たり前」を貫き通す彼の姿勢は、その「真理」の正誤関係なく尊敬に値します。

読売新聞勤務のOBの話
彼の講演で一番印象的だったことを紹介します。

「学生時代に新聞記者になる為に取り組んだことはありますか?」

という質問に対して、

「辞書をランダムに開いて、そこにある語句について800字書く作業を毎日していました。
書いた作文は「作文会」というマスコミ就職を目指す有志の友達と共に添削しあっていた。
作文は書かないと上達しないよ」

と返答。

・・・作文大会の作文で自らの能力の低さを実感した私にとっては、OBが言った様に作文をどんどん書いていかなければ・・・と思ったわけです。


その他多くの刺激から、自分自身についていろいろ考えてました。
金先生にも相談にのっていただきました。金先生、ありがとうございます。

この合宿を機に、新たな目標・課題・視点を得ることが出来たと思ってます。
まだ自己分析は目標や曖昧で暗中模索の最中ではありますが、一秒一秒を真剣に考え成長していきたいという思いでいっぱいです。「ぶれない自分」になりたいと強く思います。
モチベーションUPには最高の合宿という感じでした。

その他にも、ゼミの枠を越えていろんな人とお話しする機会があり、楽しかったです。
金ゼミの合宿も楽しみにしています。

2007-04-23

合宿の感想

合宿では一緒の部屋になった人と仲良くなれたり
ちょっと友達が増えてうれしかったです☆

講演会や卒業生の方との懇談では、
自分たちはすごく恵まれた環境にいるんだなと感じました。

岸さんの講演では、現在のメディアの批判をされていました。
でも、今現役でメディアで活躍している方々の一部は慶應卒
だったり、メディアコム出身だったりしますよね。
本当ひとごとじゃないなって感じです。
個人に問題があるというよりは組織に問題があるとの指摘もありましたが、
組織を変えるには数人の力でも可能であると岸さんはおっしゃっていました。
改革なんてと人はあきらめやすいものだけど、現実は少しの力で変わったり、
少しの勇気とか努力をだしおしんで、変わらなかったりするのかも。

結構あっという間の一泊旅行でしたが、
ちょっと不満として今思いついたのが
夕食のケーキ少なすぎです。
女の子メディアコムにいっぱいいるんで
もっとたくさん用意して下さい。
みんなで食べられません。
あとお寿司も。

それと、鎌倉楽しかったです☆
また何か企画してください♪

ウェブ進化論

梅田望夫「ウェブ進化論」を読んで。

私は、

『表現行為が写真、音楽、映像へとマルチメディア化していった場合の
「検索エンジン×自動秩序形成システム」は存在しない』

という点に一番興味を持ちました。

存在しない理由に
①技術的な難しさ
②ユーザ側の要求の厳しさ
を挙げていました。

梅田さんの文章の中には絵画が入っていませんでしたが
文字を介さない表現行為に、絵画も入ると思うので、絵画を
例に、検索エンジンにひっかかるよう分類するにはどうしたら
よいか、私なりに考えてみました。

今現在のgoogleに
例えば、「宗教画」といれてイメージ検索をすると
実際に色々な宗教画がでてきます。
しかし、これは宗教画の絵に反応して検索されたのではなく、
絵とともにくっついている文章(誰かのブログの本文とかHPの文)つまり文字
に反応して検索されたものであることがわかります。
なぜなら、全然宗教画ではない画像もでてきて、
なんでこれがでてくるの?と思ってみてみると、本文の方に
宗教画という文字がのっているからです。

絵だけを検索するにはどうしたらいいのか?
文字ではないものの分類はどうしたらいいのか?

私なりの考えてみた分類

①色

色だけなら記号化できるだろうと思いました。
背景にこの色を使っているものでわけるとか・・
この色を多く使っているとか・・

②材料・大きさ

紙は何を使ったとか、大きさは何×何かとか

しかし、これだけでは絶対分けきれるわけも無いですよね。

さっきの「宗教画」を再び例にしてみても
何色を使っているから宗教画といった法則はなく
また
この材料だからこの大きさだから宗教画というわけでもない。

宗教画に関してだけ言えば一つ有効なのは
時代による分類だと思います。
イタリアなど、ルネサンスの頃とかその前あたりの
ある一定の時代の絵画は
宗教画がほとんどなのではないかな。

でも現代の宗教画は、かなり抽象化されているのも
あり、人によっては宗教画だとは全く思わなかったりする。

結局いまの私に有効な分類方法はわかりません。

ただ今のgoogleは文字のインプットが主流ですよね?
それにとらわれることなくインプットも文字なしのものを
いれることはできないのかなぁと考えました。

例。ある構図を元にした絵をスキャナーでとりこみ、グーグルで
検索すると似た構図のものが検索されて出てくるとか。

②のユーザ側の要求の厳しさに関しては、
ヤフーの人を介したやりかたがあると述べられていましたが、
絵や映像(映画)のように人によって趣味が大きくわかれるよう
なものを、どうやって石か玉かを分けるのか。
という点に疑問をもちます。

まとめると
人が、文字を介さず、絵や映像や写真をみて
一瞬で感じる雰囲気、印象といった空気のようなものを
テクノロジーは理解するのか
ということです。

かなり私の頭の中で考えてみた部分もあるので
間違っているとか、もっと進んだ考え方があるとか
ありましたら、みなさん教えてください。


☆議論したい点☆
表現行為がマルチメディア化していった場合の
検索エンジン×自動秩序形成システムについて

睡眠4時間で山登り~

土曜日も授業があり、夕飯ぎりぎりの時刻にセミナーハウスに到着した小川です。
頑張って到着するも、着くなり皆に「目の下のくまがすごい」と言われて萎えました。
友の話を聞けば、岸さんのお話が素晴らしかったらしく、欠席せざるをえなかった自分に萎えました。

まあそんな萎えることばかりではないのが合宿です。
今回の合宿は、自分が3年生ということもあり、ゆとりをもって過ごせました。
夜はとある女子部屋で、まったくコンテンツや就活とは関係ない話で盛り上がりましたし、
日曜日に行った鎌倉では、金ゼミ新入生の新たな一面を知れたので非常に楽しかったです。
皆さん個性ありますねw
ゼミ外活動の何気ない場面で、個人の性格や趣向は明らかになったりするものなんですね。新発見☆

睡眠時間4時間でも、靴はブーツでも、登山して良かった♪
(といっても標高100m未満の源氏山ですがw)
補足:ワンダーフォーゲル部のウッちゃんは、さすがの足裁き(?)でした。

合宿の感想

 全体を通して、充実した二日間が過ごせたと思う。
 この合宿を通じて、いろんな先生や同期の友達と話せてよかった。

 岸さんの講演会はとても興味深く面白かった。
この講演を聞いて思ったことは、ブラックボックスが存在している日本のメディア界では、ビジネスモデルが古くても、上手く利益が享受されるようなシステムが構築されているのだろうなということである。
その中で一人、改革を訴えるのは並大抵のことではないのだろう。
改革しろと言うのは簡単だと思う。しかし、その後の新聞記者さんの話を聞いても感じたが、なかなか実行に移すことができないのが現状であると感じた。そして、それを責めることは誰にもできないと思う。(解雇されたら、家族も養えないし、食っていけないし。)
あと一つ気になったのは、日本のアニメや漫画が面白くなくなってきているとおっしゃっていたが、個人的な意見ですが、絶対にそんなことはなく、まだ日本のアニメや漫画はどこの国よりも面白いと思う。
面白いの基準が売れるか売れないかになっていること自体に怖さを感じた。
作り手以外の人たちは、儲かる儲からないにかしか興味はないのだろうけれど。

 最後に、共同通信のOBの方の話も的を得ていて、大変勉強になった。
本を読んだり、真面目に授業に出ることも大事だが、それよりもいろんな経験をしておこうと思った。
久しぶりに大人数の合宿行って、酒が飲めて、楽しかった。

ウェブ進化論

この本を読んで、たくさんの驚きと感想を持ちました。
まず、自分が知ったかぶりをしていた部分が「そういうことだったのか」という理解へと少し変化したように感じます。実際、インターネットを利用するのは知識なしで出来ます。しかし、その知識のなさが「インターネットは自らの存在を脅かすもの」という恐れに影響しているのではないかと思います。私自身インターネットを頻繁に利用するようになったのは去年です。それ以前は「あちら側」の世界に怖さを感じていました。中学時代は家のパソコンに触れもしなかったです。実際学校の情報の授業でも可能性についてはほとんど言及されず、危険性ばかりが強調されていました。「インターネットを使用する事=危険」というぐらいの指導の仕方でした。「変なところをクリックして、大変な事が起きるのではないか」など自分の制御範囲を超えて存在するインターネットという知覚することのできない膨大な情報に対する恐れがありました。今でもその怖さは感じています。インターネットで買い物などは一度もした事はありません。ですが、インターネットがどういう仕組みで成り立っているのかとか正しい使い方を知るだけで、恐れを超える利便性を享受する事が出来ます。私もインターネットに善悪で言えば悪、清濁で言えば濁を感じているうちの一人です。しかし一方で、危険よりは可能性を感じています。問題を見極めながら、インターネットの「開放性」を否定するのではなく、肯定していきたいと思っています。世の中の人が「住む人」には成らずとも「使ったこともない人」であるのはとても惜しい事だと思います。メディア教育の必要性があると思います。
そして、Googleに対して私は今まで「検索出来るもの」というぐらいの認識しかなかったのですが、その認識が変わりました。Googleによる「知の世界秩序」の完成はGoogleに「世界政府」の完成を意味しているだろうと思います。世界中にどのような情報があるか、誰がその情報を検索しているかなど貴重な情報を全て掌握する。民主主義、経済格差是正ということを標榜するGoogleはアメリカらしい企業だと感じました。アメリカの「民主主義」、「自由の国」という考え方はどこまでも広がり、フロンティアは存在しない。そこがアメリカの特色だと思います。アメリカはこの特色を上手くつかっていると思います。アメリカは他の国と違い、移民が作った非常に歴史が浅い特殊な国家です。私はこのままだとリアルもバーチャルもアメリカによって支配されてしまうのではないかという不安を覚えています。
情報共有の重要性にも共感しました。これは私がサークルでPukiWikiを使っている事から感じる事です。サークルで企画を立て、直に会わなくてもどんどん進められると同時に、他の人が今どの仕事をしているのかわかって非常に便利です。しかし、問題もあります。これはもともと言われていることですが、客観的事実はともかく、意見などは曲がって伝わってしまうという事があります。また見ている事前提としているため、見ていない人がいると面倒です。情報を選ぶ権利というものがあるためです。情報にも「なぜ見ていないのだ」、「見ていないのだからしょうがない」と言う人などが出てきてしまいます。情報共有にもこのゼミのように24時間ルールや日の出ルールなどのそのコミュニティの中でルールの設定する事が効率的に仕事する上でも大事だと思います。
「米国のリアル書店チェーンのバーンズ・アンド・ノーブルが持っている在庫は13万タイトル(ランキング上位13万位までに入る本)だが、アマゾン・コム全売り上げの三分の1を13万位以降の本から上げている」という事実には非常に驚きました。「無に近いものを無限大に限りない対象から、ゼロに限りなく近いコストで集積できたら何が起こるか。」の一つの結果であると思います。私は「(≒無限大)×(≒無)=Something」に大きな可能性があると思います。
新しい何かを生み出すためには情報を出し惜しみせず、世界に流通させる事が大事な気がします。「オープンソース」や「ロングテール部分に新規参入する楽曲を「情報」として無料化し、リスナーへの認知を最優先する新しい音楽ビジネス」もこのような事とつながりがあるように思います。一人で作るより二人。これはリアルの話ですが、iPodの背面などを作っている「磨き屋シンジケート」という磨き屋集団の成功もここからだと思います。昔は自分が習得した技は決して他人には明かさなかった磨き屋。しかし、地域の企業で結託し、技を共有し、それぞれの得意な分野活かして仕事を分担した事から成功したのです。日本もこういう時代になってきたのです。今は情報を守るのではなく、アウトプットする方が得である時代になったように感じます。

【話し合いたい議題】
本文に「先進諸国の表現者が『飯を食う』すべは相変わらず既存メディアに依存し続ける。」とあるが、どう考えるか?

合宿お疲れ様でした。

逗子には行ったことがあったのですが、国際村に行くのは初めてで、海辺を想像していましたが・・・山の中でしたね。隔離された気分で過ごした2日間でした。

所長をはじめとし、先輩や同期の子と初顔合わせができ嬉しかったです。

岸さんの講演では、「2,3人の力で社会は変えることができる」という言葉に驚きました。その2,3人の中である岸さんの話は、内容も興味深く、幅広く活動されていてすごいなあと思いました。しかし、何よりもその話す態度や口調が自身にみなぎっていて圧倒されました。

OBOG会では、もっと年配の方が来ると思っていたので、年齢的に近いという意味で同じ目線でお話ができたのがよかったです。

次の日は疲労困憊でしたが、振り返ると時間が流れるのが早かったので充実していたんだなぁと思います。


といっても、私だけ一人部屋だったので、悲しいことにルームメイトと仲良くなることもできず、友達も結局は内輪になってしまいました。が、それはそれで良い機会だと感じています。

合宿

合宿はあっという間に終わってしまったなぁというのが私の印象です。
1日目はメディアコムに関する諸説明、講演会、作文、OBOG懇談会、懇親会(夕食)などがありました。
講演会は岸博幸さんによる「政治とメディア」という演題の現在のメディアの問題点に関するお話でした。私達の世代に強い意志を持ち、これからのメディアを変えていってほしいという願い(むしろ警告と言っていいのかもしれない…)が伝わってきました。
作文はその願いを反映してか「改革」というお題でした。作文を30分という短時間で書くのはとても難しく、おかしな事を書いてしまったと後悔すると共に、まともな文が書けるようになりたいと思わされました。
OBOG懇談会は集英社の村岡真知子さんと共同通信社の渡辺匡さんのお話を伺いました。村岡さんは中高生をターゲットとする雑誌「SEVENTEEN」に携わっていらっしゃいます。記事を書くというお仕事だけではなく、雑誌に出演する10代のモデルと関わる事のおもしろさや大変さ、喜びについて語って下さりました。
渡辺さんは記者である自分の日々の生活、新聞社との違い、作文の大切さなどをお話して下さいました。働く場所によっては3時間睡眠など普通、身だしなみには構わなくなるなどのエピソードを通して日々の忙しさが伝わっていました。
懇親会では様々な人とお話しました。他ゼミの先生方ともお話出来て非常に有意義でした。私なんかは小学校時代の友人と再会する事が出来ました!
その後は部署の説明、登録がありました。私はめでぃすたと広報を聞きました。広報に参加しようと考えています。
2日目は作文優秀賞の発表やゼミナール委員会の役員選出などがあり、合宿は終了しました。
その後鎌倉へ行きました。鎌倉ではわらびもちや鎌倉丼(えび天が卵でとじられているもの)を食べたり、鶴岡八幡宮、源氏山公園、銭洗い弁天に行ったりしました。鎌倉そのものも楽しかったですが、みなさんと交流出来たのが嬉しかったです。

オリエンテーション合宿感想


オリエンテーションン合宿

21日22日のオリエン合宿で、感じたことを何点か時系列で羅列。

~21日~
  • やはり逗子は遠い。
  • 早起きは辛い。
  • 所長のプレゼンは相変わらず。
  • 岸さんの、喋り方や立ち振る舞いは経験に裏打ちされた自信を感じた。
  • 日本のポップカルチャーが、いつまでも世界で通用すると感じているのは大間違いだと再認識。
  • OB・OG講演会には、集英社/共同通信社/フジテレビ/読売新聞社の方がいらっしゃる。
  • 夜は楽しかった。
  • ゼミナール委員会で大富豪(大貧民)やった。
  • その後は、3:30まで4年生の貴重なお話を聞く。

    ~22日~
  • 奇跡的に朝起きれた。
  • 作文コンテストの受賞は全て2年生。
  • 終了後の鎌倉観光は楽しかったし、おいしかった。

    ~その他~
  • 運営の手伝いをして感じたけど、もっと周りを見た方が良いと思います。
  • 話が聞こえないなら、前に行けば良いのに。15000円払ってるんだから貪欲に行くべし。
  • 来年就職先が決まって行きたいです。
  • 合宿行ってきました☆

    4月20日、21日とメディア・コムの合宿で逗子へ行ってきました。
    毎年この時期恒例のオリエン合宿です。

    初日の講演会では岸博幸氏(DMC特別研究准教授)がお話してくださいました。

    岸さんは、新聞(ジャーナリズムを含む)、広告業界のシステム、インターネット放送、音楽業界など多分野に渡って話をしてくださり、その一つ一つについて問題点を指摘。  「日本のマスメディアは、このままじゃ駄目だ!」と「改革」の重要性をアピールされました。

    岸さんのお話を聴き、私たち若者が現状のマスメディアに問題意識や危機感をもって接するべきだということ、そして将来のそれを担う立場として、自覚をもってしっかり勉強すべきであるということを強く感じました!
    これまで、竹中大臣をはじめ、様々な政策を手がけ実行に移してきた岸さん。
    お話の内容もさることながら、その話しぶりには「改革者としての強い意志」をみたようでした。

    合宿2日目は午前中で終了。
    金ゼミで希望者を募り、鎌倉に遊びに行きました。
    コースはこんな感じ。
    老舗の蕨もちを食べる→鶴岡八幡宮へ行っておみくじをひく→名物?「鎌倉丼」を食べる(おいしかった!!)→源氏山へ(皆がんばって歩きました!)→銭洗弁天(金運アップ!?)
    今回の鎌倉ツアー、積極的に2年生も参加してくれたのが嬉しかったです。

    ゼミで真剣に議論するのも素敵ですが、こうやって遊びに行ったり合宿に行ったりする中でお互い新しい部分を発見できるのが私は好きです♪

    クリエイティブクラスの世紀

     金先生からアップするように言っていただいたので、アップします。
     クリエイティブクラスの世紀の要約と感想です。

    (要約と感想)
     第一部ではクリエイティブ経済の台頭について述べられ、開放性と経済成長について論じている。この本によると、経済面において、クリエイティブ産業が最大の富を産出している。また、これからの時代で成長が期待される職業は「専門的思考」と「複雑なコミュニケーション」が要求されるクリエイティブクラスの仕事である。そして、経済発展には三つのTと呼ばれるものが不可欠であり、それは技術•才能•寛容性である。特にクリエイティブ時代においては三番目の寛容性が重要である。なぜなら、寛容性や多様性を持つことで、クリエイティブな可能性を育てる下地をその土地に与え、あらゆる世代の様々な才能を惹き付けるからである。第一部の最後では、アメリカ経済の歴史について論じられ、特にこれまでのアメリカは新しい人々とアイデアを受け入れることで形作られてきた国であるということを述べている。
     第二部では、地球規模で才能の獲得競争が激化していることに関して、論じている。アメリカで増加する外国人への規制を検証することによる、国に与える悪影響の大きさを述べている。グローバル化により、才能は自由に移動することができる。これからの時代はどれだけたくさんの才能をある国や都市に集めることができるかがその土地の経済成長の鍵となる。アメリカの多様性が失われるにつれ、世界規模で様々な国や都市が才能の獲得を巡って、競争し始めている。それにより、都市間での経済格差がこれまで以上に大きくなることは間違いない。このように、クリエイティブ経済には影の面も存在している。
     第三部ではクリエイティブ時代への過渡期に直面する課題を検証し、これからなすべき提言をしている。現代の世界経済における最も重要な事実は人の移動である。ここでアメリカに求められているものは新しいクリエイティブな産業を育て、将来のための人材を用意し、何よりも開放的な社会を維持することであると再び述べている。まとめると、クリエイティブ時代は才能を活用し、より多くの人間エネルギーに報いるなど、経済開発を人間開発に結びつけることが史上初めて約束される時代であり、その過渡期である今求められているものは、世界観の変化なのである。

    感想としては、全体を通読してみて、ダニエルピンクのハイコンセプトと考え方が似ていると感じた。一つよくわからなかったことは、(私の理解不足かもしれないのですが‥)この本で言うクリエイティブとはどういう意味で使っているのか、どの範囲を言っているのか理解できませんでした。始めの方に、建築家から美術専門家、エンジニアや科学者から芸術家、作家、上級管理職、プランナー、アナリスト、医師、金融や法律家までと書かれていたのですが、これら全てがクリエイティブな職業であるなら、アルバイトのような単純労働を除く、全ての仕事がクリエイティブであると言えるのではないでしょうか••。最後に、この本を読んでまた感じたのは、現在は時代の過渡期であり、自分の考え方の柔軟性と他人の価値観を受け入れる寛容性が求められる時代であると感じました。私自身、保守的に考えてしまうタイプなので、日々新しい様々な価値観と出会い、その考え方を受け入れるか、本当に正しいのか、常に自分に問いかけています。

    (議論したい点)
    ①クリエイティブ時代において、日本はどのように次の時代を切り開いていけばよいのか?日本はどうすれば才能獲得競争に勝ち抜くことができるか?
    ②都市間での経済格差の問題をどう解決していけばよいか

    2007-04-22

    ウェブ進化論

    こんばんは。
    Webと渉外担当になりました相川祐里奈です。
    合宿楽しかったですねー!いろいろ考えることが多かった濃い2日間だと思っています。
    早速ウェブ進化論の感想と議論したい点を挙げさせて頂きます。
    木曜日の補習はSFCで18時まで授業があることから参加は出来ませんが、
    どんなことが話合われたかなど、とても興味があるのでログをアップしてもらえたら嬉しいです。


    感想
    「Web進化論」で、個人的にWeb1.0⇒Web2.0への移行で主に重要なポイントだと思ったことをまず羅列します。
    Web2.0は・・・

    1. チープ革命によって、リアル社会で出来なかったことが出来る
    2. 情報中間者が増加する
    3. Indivisualの知的成長が見込める
    4. Open cultureであり、無限の参加者たちの集合知によって形成される
    5. 可能性を無限に広げることである
    6. 「good enough」の連帯感が生じる
    7. 目的意識があり能動的である参加者を求める

    と理解しています。他のGoogleやAmazonなどの個性的な機能を出すともっと出せると思いますが、とりあえず、Web2.0を統括して以上の7つのことが言えるのではないかと思います。

    本の中で特に気になったのが、ウェブの進化から起こる「整備された高速道路」と、「高速道路を走りきった先にある大渋滞」です。この大渋滞を抜け出すことが出来ず、情報に埋まっているのが今の私であり、今の社会の現状だと思うんです。

    それを抜け出す為に、何をしたらいいか。Webが進化していく中で、「整備された高速道路」を走るのは勿論しなければならない。ただ、渋滞にはまった時に培った「知識」と人間ならではの「認知」という最高のシステムを駆使して「渋滞」から出て行く、もしくは新しい道を作らなければならないのでないかと思います。そうしなければ、渋滞にのまれ全体は見えてこないし先も見えない。実際に講演してくださった岸さんも渋滞から抜けた人だと思います。どうすれば、そうなれるのか・・・改めて考える機会ができました。Webの進化に敏感であり、そこを突破する思考能力が必要なんでしょうね。

    んん・・・言葉足らずな気がします。要は、Webが進化する中で、人が見えないことが見えるようにするにはウェブにできないことを人間がしなければならない・・・うまくウェブと付き合わなければ・・・と思ったのです。

    もう一つは、若者の可能性について、新しい視点がもてました。Web2.0へ移行し知的生産のツールであるblogを活用することによって個人が会社などの共同体の外でもネットワークを持つようになり、自立した個人が生まれる・・・そうすることによって、組織と個人の絆が以前より希薄になり、現在問題になっているヒエラルキーな企業の構造が少なからず揺らぐという結果に繋がるのではないか・・・というちょっとした希望も持てました。そうすれば日本のメディア産業も少しは変わりますよね。また、今まで「転職=悪い」という考え方も壊れましたし。フットワークが軽く自立した個人が増えることで、これからの日本の企業体制が変わるのでは?という期待をもって、これから自立した個人を目指していきたいです。

    うおー!まだまだだけど、頑張るーーーーー!!!!!!!!!!!!

    うおー!

    ・・・長くてすいません。それも、巧く文章で感想が伝わりきれてない気がします。あー

    議論点(これも長い・・・)

    議論点

    私たちは本当に「あちら側」のシステムによる「玉を別けられるシステム」が必要なのだろうか。

    (ちなみに、私はWeb2.0の中で個人が情報社会の中で自立できるならば、必要ではないと思います。Googleの様に人を介さない方がWeb民主主義的が保てるとも感じますし。)

    <この議論点を出した背景>

    従来のメディアと同じように参加者が受動的では情報に飲み込まれる時代になりました。Web2.0では参加者は「能動的であることがもとめられる」とこの本でも書いてあります。もともとWebに情報を提供する参加者(=ベース)の人の偏りも(アメリカならともかく)日本にはあると思います。そのランダムでない一部の参加者による情報が、検索エンジンの順位付けによって「Webの常識」になりつつあると思われます。

    これでは、検索エンジンがカウントするアクセス数の増減によっては、「Webの常識」左右されてしまう。これは困りますよね。しかし、「玉を別けられるシステム開発が必要」と書いていますが、それは人の介入なしでは無理だと思います。人が変に介入することによって、情報操作が行われてしまうからです。