2007-12-15

ネット規制、影響力重視 客観的基準作り課題

【概要】
総務省の研究会が6日に最終報告をまとめた通信・放送の包括規制案は、規制の根拠の比重を「電波の希少性」から「社会的影響力」に大きく移した。現在は原則自由のネット上の情報に、「影響力」を理由に規制の網がかかれば、表現の自由が侵されかねない。ネット規制の強化には放送業界や経済界などが反対していたが、総務省が振り切った形だ。

【感想】
規制の根拠に「社会的影響力」が重視されるようになった事で、どのような変化がもたらされるかどうか気になる。果たして表現の自由が制限されてしまうのかだろうか。また、なぜ放送業界や経済界が反発したのかし、総務省が彼らの意に反してこの規制案を作ったのかについて考えたいと思った。

【議論点】
「社会的影響力」に比重が置かれる事で、変化することは何か、表現の自由は奪われるのか。
放送業界、経済界が反発し、総務省がそれを振り切った理由について。

2007-12-14

市場を創る

「市場を創る」を読んで改めてこの本にはいろんなチップが散りばめられてるなと感じました。
拾うのに精一杯というか、今も1~5章読み返してどうにか自分のToolとしてこの知識が使えたらいいのになーと感じます。

今は個人的(というよりもSFCの授業の課題で)に今2010年のNTTの再々編成やNTTの歴史を電電公社前から調べていて、そのことと絡めて「市場を創るを読む」とNTTの民営化や分割の見方が面白いほど変わって興味深い限りです。
特に政府と市場の関係について今はレポートをまとめるつもりなので、市場を創るは(三田祭論文につづいて)いい教科書になると思います。
皆も市場を創るを読むに当たって、何でもいいけれど一つの産業を自分の頭の中で描きながら読むと更に面白いと思うし、自分の中に落とし込めると思います。

発表・議論・輪読を通して1~5章で気になったのはのは2点あります。
「今後の仲介者の役割は何か、必要なのか」と
「独占的な市場を打開する為の代替的市場が形成するにはどうすれば良いか」です。

まず、「今後の仲介者の役割は何か」についてですが、この本ではインターネットの誕生によって仲介役がいなくなる。または、買い手も売り手もインターネットによって仲介役との交渉力を持つ為、仲介役はいらないとまでは言わないけれど、その地位が低下するような方向性にあるということが文脈から読み取れました。
今までは錯乱する情報を一括して買い手に提供する、つまり無駄といわれる探索費用を削減しその対価を得るというのが主な仲介役のビジネスモデルだったと思います。しかしこれからは、Webが生活に浸透していくにつれて探索費用よりも評価費用を減少させるための仲介役の方が必要になると思います。といのは、インターネットは買い手と財を効率的且つ迅速に結びつけるけれども、その反面同質の財が多数存在していてどれがいいのか画面上ではわからない。特に情報過多で買い手には消費しきれない。質の高い財を手にするには今は品質が保障されていなければならず、それを評価する仲介者が必要になるからです。
そうゆう意味では、インターネットの世の中でも仲介役は必要といえるのかなと思います。
今後、新たに市場を創る際にも評価費用を削減する仲介役の重要性は忘れてはいけないんだろうと感じました。

もういっこ
「独占的な市場を打開する為の代替的市場が形成するにはどうすれば良いか」です。この話が議論で出た時すぐにNTTのことが頭に浮かびました。特に規模の経済があって、公正な競争を促すにはどうすればいいか・・・新しい市場を創るか、強力な新規参入企業を入れるのか(外資規制とか)・・・。
まだここは自分にはよくわかりません。もう少し通信の事を勉強しながら、今回勉強したことを具体例に落とし込んでいきたいと思います。

それでは1日遅れてごめんなさい。
来週もがんばりましょうw

2007-12-13

「市場を創る」第1~5章

ディスカッション中に言えなかったことを何点か書きたいと思います。

①インターネットの世界で本が高く売れるのはなぜ?
これについてはインターネットの登場によって買い手側にバーゲニングパワーが集中し、売り手側の競争が刺激される、よって商品+アルファの価値提供をしなくてはならなくなったということだったと思います。それと同時に僕はインターネットを使ってもまだ情報を探すのに買い手側にコストがかかっているのではないかと感じました。e-Bayのようなe-commerceビジネスは今世界中で広がっており、真に安い値段を見つけようとするならば多くのサイトを閲覧しなくてはならない状況です。もちろんアナログ時代とは比べ物にならないほどスピードは上がりましたが、インターネットの台頭によって「これまでの行動範囲では考えられないような売り手にリーチできるようになった」こともまた事実だと思います。だから結局僕らは第5章でやったようなブランド(信用)のある会社、Amazon.comや楽天などを利用することで、確実性を評価項目にすり替え、そのコストから眼を背けているのでは?と考えました。

②なぜロシアでは市場が生まれなかった?
塚田さんの考え方に共感しました。最低限の賃金が保障されている環境では、まったく保障されていない環境よりも利益に対するモチベーションが上がらないのかもしれないですね。絶体絶命的な状況だからこそ人間は知性を使って勝利を勝ち取ろうとするのだと思います。

③公共財の考え方について
知的財産権の保護がイノベーションのインセンティブを妨げるかもしれないという議論は金先生からのインプット講義でロウソクをモデルとした考え方の中でも出てきたと思います。最近聞いたのですがMansfieldは知的財産権の保護が研究開発投資を妨げると言っていたそうです。ただ今回の製薬業界の議論では知財は不完全な権利であり、国があえて不完全にすることで企業側へのインセンティブを高めることに役立っているとなっていたと思います。実際企業側から見て、知財の存在は開発のインセンティブになっているんでしょうか?

「市場を創る」

「市場を創る」では、いままでなんとなく理解しているつもり
になっているものを、あえて言葉できちんと仕組みを説明する
ということの訓練になったように思います。

発展途上国における製薬会社の事例のなかで出た
「お金の大きさ」と「人の大きさ」の話が、印象に残っています。
現在の市場は、もちろん「お金の大きさ」で動いていますね。

また、みなさんのプレゼンが本当に上手で、すごいなぁと思いました。
自分が担当になったとき、頑張ります。

2007-12-12

ゼミの感想

・「市場を創る」1~5章まで

今まで商品やサービスを買う時はなにも考えずに、
選択していましたが確かに無意識のうちに“検索費用”
を計算していたように思います。
品質や価格に関する情報の共有によって、「消費者の地位」
があがっているということは感じていましたが、
この本で市場での買い手と売り手の行動を考えると
理解することができました。
またエイズ薬のエピソードが印象に残っています。
市場がうまく行き過ぎているが故に“最悪の姿”が現れてしまったが、
「消費者とその保護団体が市場の動きに修正を加えた」
と本にはあったので文面通りに受け取っていたのですが、
世論の動きを企業側が経済的に計算して初めて市場に
修正がなされるということがわかり、
では先進国を襲うことがない病気についてはどのように対処していくのか、
ということが気になりました。そして、そこで政府がどのようにどの程度
かかわっていくべきなのでしょうか?
トップダウンとボトムアップでのバランスについて考えさせられました。

ルールやメカニズム、インセンティブが市場においてどれほど重要か、
市場には常に改善が求められている、ということを感じることができました

市場を創る


三田祭論文で
「市場」について行き詰まってしまったところがあったので
今回の輪読は、とても有意義でした。
経済学部で良かったと、久しぶりに思いました

まず
面白かったのは「取引費用」の考え方です
行われる取引の実際の価値とは無関係なところで資源を消費する、という概念が新鮮でした
また、市場の人間の行動を上手く説明できる概念だと思います
ボトムアップ、トップダウン、特許などの項目も有意義でしたが
私的には、「需要の弾力、非弾力」という概念がとても面白かった
第三章のp.48では、医薬品は価格に対して悲感応的であると書いてあり、
ある意味あたっていると思うが、考え方によっては間違っているとも言えると思う
命に関わる医薬品の取引では、消費者は持っている全ての資産を払うかもしれないし
各個人の資産には違いがあるとすれ、仮に、資産に対して90%のお金が、
その医薬品に払える限界だとする。
その資産比に対する、支払える限界は、個人によって違いがあるかもしれないが
私見では、かなり収束すると思う。
むしろ、コンテンツのほうが、個人が払える限界の金額には、ばらつきがあるであろうから
需要に対して非弾力的とも言えるのではないか、と思った。
。。。もちろん、現実では、医薬品は、個人が払える限界の金額で売られているわけではないから
医薬品のほうが、価格に対して、ずっと非感応的であるのだが。。。。

2007-12-11

市場を創る 1章~5章

 今回は「市場を創る」の第一章から第五章までを輪読しましたが、その中でもいちばん印象的だったのは、第五章です。特に、『巨額の費用をかけてコマーシャルを行うこと自体が、その企業のその製品に対する自信を主張しているのだ』という記述が興味深かったです。『How to say』ではなく『What to say』だということはよく耳にしますが、それ以前に広告を打つこと自体が重大な意味を持つというスポンサー側に立った意見は新鮮でした。
 しかし、その主張を向けている対象を無視してはいけないと思います。どんな製品も消費者のためにあり、どんなメッセージも受信者のためにあるように、どんな広告も視聴者のためにあると思います。視聴者の立場に立てば、製品の『存在』のみを知らされても何の意味もなく、製品の『良さ』を伝えてほしいと思います。いわば、CMはその製品の30秒自己PRです。『新製品出ました!』というCMは、私が自己PRで所属と専攻を言うぐらい無意味です。『以前の製品とどこがどう違うのか』を伝えるべきであり、『存在』を伝えるべきではないと思います。

1210ゼミの感想

市場を創る(1~5を読んで)


経済システムは人々の自由な行動によってなりたっている。しかしときに自由な行動ができないような状況が発生する。そのときは政府が細部を整えていかなければいけない。
ここまでで重要なことはだいたいこのようなことだ。

 ゼミ中、「混乱」という語句を用いてみなさんの「混乱」を招いてしまったかもしれないのでこの場を借りて補足する。
 情報が伝わらないマーケットにおいては、売り手が得をする。検索エンジンの発達によって情報が簡単に伝わるようになった。値段は下がり、売り手は損をし買い手が得をした。しかし値段は一律にはならなかった。買うたびにポイントがつくなどの付加価値の存在があったからだ。付加価値は一見ユーザーにとってお得なサービスのように思われる。しかし僕はこれを売り手の狡猾な「騙し」であると考える。これは買い手を「混乱」に導くテクニックなのだ。
 価格を比較できる時代、250円と300円の焼きうどんのどちらを買ったら特かは明確だ。誰もが250円を選ぶ。しかしここに300円だが鹿児島県産豚肉使用だという付加価値が付いたらどうだろうか。人々は50円の差に迷いだす。この「+50円but鹿児島県産豚肉」が特かどうかを正確に判断できる人間はなかなかいない。もちろん、「+50円but鹿児島県産豚肉」としっかり表記され、情報が伝わっているので買うか買わないかは買い手に任される。買いたい人が買えばいい。買いたい人がいなければ売れないし、値段が下がってゆくだろう。
 しかしどうだろう。今の世の中、付加価値が溢れ始めている。人々は検討が難しい付加価値に振り回され、ストレスすら感じているのではないだろうか。
250円の焼きうどん、300円で鹿児島県産豚肉使用、350円で二個食べると3つめがタダ!この三つがあったらどうしようか。買い手は大いに「混乱」し、3つ食べないのに350円の焼きうどんを買ってしまうかもしれない。そう、売り手に騙されたのだ。
 売り手が付加価値をつけることで損をしていることは稀だろう。鹿児島県産豚肉は一つあたり30円で使用できて20円の利益がでているはずだ。そもそも売り手の利益とは買い手を騙した額である。50円でできるものを150円で売って騙して、利益を100円得る。数字の比較で騙される人はいない。抽象的な事柄によって人は騙される。
 ITの進歩によって数字がきれいに見える時代になった。買い手は明確にわかる数字を追い、安いほうへ安いほうへと向かった。売り手は価格競争に困った。迷いもなく買い手が安いほうへ流れる。そんな買い手を一瞬でも立ち止まらせたい。悩ませて(混乱させて)高くても買わせたい。これが付加価値なのではないだろうか。
 最後に、ヨド○シカメラのポイントカード。買った額の10%のポイントが付き、次回からポイント額を使用できる。なぜ最初から商品を10%引きにしない? お得感を煽っている?ヤ○ダ電気との価格競争の停止のため? それもあるけど、10%のポイントを使い忘れる人を待っているのではないだろうか。
 そう、人々は付加価値に混乱させられ、騙されている。

こういうことが言いたかったので「混乱」を使わせてもらいました。偏った考え(というか仮説)なので、フィードバック待ってます。

ゼミ中、変なたとえ話でみなさんの時間をとってすみません><



最後に一言。「いい市場」ってなんのかなって思います。先進国にとって「いい市場」ができてるとき、途上国には劣悪な市場ができているのではないかと思います。
 僕らが[いい市場」で安価にサッカーボールを享受できるときに、東南アジアでは劣悪な市場で少年達が過労してサッカーボールを作っている。

1210ゼミの感想

内容:「市場を創る」第一章~第五章を読んでの議論。

「市場=見えざる手の働くもの」と考えられるのが一般的だが、この本の中では、市場はあくまで「人間の発明物であり、故に人為的に設計されるべきもの」であることを強調している点が興味深い。
難民キャンプにおける市場と私たちが普段主体的に経済活動を行っている市場とは一見大きく異なるようだが、人間が経済活動を行う環境として共通する部分が多いのだ。

ゼミ中の議論を通して、市場経済を考えるうえで私たちは、自分の身近な部分でのみ思考することは不十分であり、地理的側面、資源的側面、情報的側面・・・と様々なアプローチがなされるべきであること、そしてまた、それらが複雑に絡み合ったり、また状況やルールによっては通常の競争原理が当てはまらなかったりと、一概には定義することのできないものであること等、市場における経済活動の奥深さを感じた。
私たちは自身が市場経済の担い手であり、その循環の輪の上にたっている。そのため、普段意識してい部分や、広い視野で捉えた場合について気付かされ考えさせられる時間だった。

追伸:今日のプレゼンターのパワポは内容的にもビジュアル的にも綺麗にまとまっていて、大変わかりやすかった。

市場を創る―1章~5章―

1章では「市場は人間の設計を必要とし、決して神秘的なものではない」というのが一章の一番重要なポイントです。なぜなら、市場は「人間的な不完全性を伴った、人間による発明物」であり、ルール、慣習、制度による支えを必要とするからです。市場を設計する時のポイントとして、①取引費用を抑制、②情報が円滑に流れる、③信頼性の保障、④財産権の定義と保障、⑤第三者に対する副作用が抑制が挙げられています。一章の最後に市場の細部の設計が市場をうまく機能させるかどうかを決定するところは、市場はそれぞれの状況や文化などの「文脈」に合わせていく事が市場にとって重要であるからと理解しました。そうすれば、机上の空論とならないでしょう。

2章では市場はボトムアップによって自然発生し、どんな状況でも機能するという事が記してありました。NetのEbayの例として、取引費用が価値となり、市場が生まれ成立していることやレンブラントやモーツァルトの芸術市場の例などはとても興味深かったです。レンブラントがそんな活動をしている事は知りませんでした。今度少し調べてみようと思います。また、取引を仲介する目的の話の時に出てきた不動産や広告の例はとてもわかりやすく納得できるものでした。

3章は国家はどこまで介入するべきか、特許の存在はイノベーションに不可欠か、知的財産権は邪魔をしているかというような論議だったと思います。製薬会社の例はとても興味深いと共に、初めて「そういえばそうだ」と納得しました。特許制度は必要だけれども、一章のように、「文脈」によって、変化するべきだと思いました。

4章は価格のばらつきの問題やものの品質を判断出来るかどうかでした。価格水準についての一般的知識なしには出来栄えを判断する能力にかけるというわけです。奥君の三田祭の焼きうどんの例はわかりやすかったと思います。探すのには時間とお金がかかります。これは、取引を価値とするEbayの事ともつながりを持ちます。取引というのは市場の大きな点だと思います。

5章は市場では信頼に足る約束が出来る能力を基礎として成立しているという事でした。売り手が書いてを信頼し、買い手が売り手を信頼する関係があってこそだと本当に思います。「正直は最善の策」という題はとても印象的でした。先生がおっしゃったように、「ただし、市場がうまく設定された場合」という条件が大事だと思います。