『著作権とは何か』感想
・感想
私が持っていた「著作権」のイメージは作品に「あれをするな、これをするな」と規制ばかりしている権利だった。実際レポートを書くときに引用をしたら出典を書かなければならないし、P2Pも著作権侵害だ。単純に著作権がなければ、作品製作者側でないわたしにとっては嬉しいことだと思っていた。しかし、文化と著作権というくくりにして考えると、第4章の後半で書かれていた文化振興のために著作権があるのであって、製作側でない私がもっとおもしろい、魅力的な作品を受け取るためには著作権が必要なのだ。この箇所は私の著作権のイメージを根本的に変えた。とは言っても、この世が窮屈になるために権利や法律謳われているわけがないのであって、浅はかな考えを持っていたんだな、と感じた。
他には、シェイクスピアのことがよく例に出ていて、創造的であることに限界はあるのか疑問におもった。結局古典にかえるのかなと思ってしまった。特にライオンキングの話は(有名らしいが)初めて知り、もとを辿っていくと古典にかえるのかな?と思った。でも、その考えにはそんなはずがないだろうという感情もあり、議論をして「無限だ!」という意見の理由を聞いたらおもしろそうだと感じた。以前どこかで、自分の話している言葉は誰かの話している言葉で、思考や行動は模倣であるということを聞いたことがある。あるパラダイムのなかではそこから抜け出せず、パラダイムシフトした時に前あったパラダイムが認識できるならば、シフトも模倣なのかどうかは疑問に思うし、著作権から「文化」や「芸術」って何なのだろと思った。
著作権が「実験」だという節も興味深かった。そうだとしたら将来その実験が失敗だと分かった時、著作権がある状態からない状態になったらどうなってしまうのだろう。
最後に著作権には先に述べた文化振興のためだけでなく、実際的には「文化、芸術」と「経済」の両方が絡んでいる。これも、私にとって何か新鮮に感じた。
・議論点
1.社会的実験が失敗した時、著作権の存在意義はなくなるのか?
(「ある→ない」状態になることが生む弊害は?)
2.創造することとは何か。模倣とは何か。
人間は生まれたときに親がしゃべる「ママだよー」を聞いてそれを模倣して「ママ」という。
ということは、言葉は模倣で、その言葉を使った思考も模倣なのではないのか?
そうすると創造することは模倣することなのか?両者の「線引き」について議論したい。
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