2007-05-17

5月14日のゼミの感想

○NewsClipping ○
「無国籍」のニュースクリッピングの中の、identityに興味をひいた
僕が考える中では、identityには二種類の意義あって
まず一つ目は、個人がどのグループ(団体)に所属しているか、つまり所属しているグループの組み合わせ。
例えば自分だったら「日本人」の「銭谷侑という名前」の「慶應生」の「経済学部2年」の「メディコム生」.....のように 、グループに所属しているということが、自分を証明してくれるという捉え方。
もう一種類のidentityの意義は、どうゆうグループ(団体)に影響を与えれたかという捉え方。
例えば、海外で生まれ長い時間その国で育った上で、一年間くらい日本に在住している外国人は、前者の意義でのidentityでは「日本に一年間在住した外国人」というグループに入れることができるのだろうけど 、後者の意義でのidentityでは、影響された度合いによって、その人自身をidentifyできる。
特に、藝術などでidentityを考える際は、後者の意味でのidentityとして捉えたほうが懸命だと思う
例えば、日本とはほど遠い国で起きた、「アールヌーヴォ」や「近代建築の五原則」のような芸術的活動や芸術的提唱は、前者の意味のidentityで考えると、全く日本という国は関係していないように思えるが、後者の意味では、それら二つの運動は、日本画や日本建築の影響がとても強かった(と様々な専門家が述べている)ので、アールヌーボや近代建築五原則は日本らしいとも言える。そうゆう見方をすると、藝術やデザインなど文化的思想の流れが、より明確に見えてくることを考えると、文化が大きく関わるコンテンツ産業も後者の見方で捉える方が懸命だと思われる

記事の中で 「前者の意味でのidentityの見方を放棄する」という意味で筆者が「無国籍」と述べていたなら
私はある程度共感できうる

○本荘さんのお話○
失礼かもしれないが、本を読み終わったとは
「統計は面白いけど、当たり前のことを言ってるなぁ」と、余り面白みを感じなかった
しかし、飲み会での席での本荘さんのお話で 、本当に日本の企業に精通されている人なのだなぁと身を持って感じた。
だからこそ、あのような本を書くことができたのかもしれない、と考え方が変わった。
私たちは、現在は学生だし、モラトリアムといったら失言かもしれないけど、ある程度の自由が与えられている
それが企業に入った瞬間、今の「当たり前のこと」がとても難しくなるのかもしれないなぁと思う
だからこそ、この本を、大企業の経営に関わる人間に読ませることに意味があるのだろう

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