2007-05-26

森さんのコラム

「ケータイの本当の価値を求めて」

興味深いテーマは色々あったのですが、やはりケータイが一番身近で考えやすく、私がケータイに求めることは、ある程度の人も同じように考えるのではないかと思いました。

まず、ケータイの主要3社、ドコモ・ソフトバンク・auについて語られることが基本的には多いと思いますが、ぶっちゃけると私は、もし契約とかアドレス変更とかいうわずらわしいことなくにケータイの機種変更ができるなら、ウィルコムにします。(ちなみに今私はドコモです。)ウィルコムはPHSですよね?
その理由は、ずばり安いからです。
私がケータイに求めるのは、
通話ができること
メールができること
で、この二つが安い金額でできればもう十分満足です。

写メもあれば便利だけどそんな使わないからなくてもいいし、パケット代高くつきそうで、iモードもほとんどやらないです。ミクシィもケータイでは見ないです。

しかし、ケータイは私の中でやはりなくてはならないものです。
個人的ですが、その理由は
①サークルのメーリスが流れる(サークルは私にとってすごく大切なのでこの情報が得られないと困る)
②友人間の連絡(特に待ち合わせのときとかケータイなかったらすごく不便)
です。

あとは、特にないような・・

つまり、私が言いたかったのは、前のニュースクリッピングにででたようなDocomo2.0のように、ケータイの会社が提案するさまざまなサービスをそんなに多くの人が求めているのか?ということです。ワンセグ、私の知り合いで実際に使ってる人ほとんど見たことないんですが。

ケータイと映像の組み合わせが、もっと発展する為にはもう一段階なにか訴えるものがないと伸びていかない気がします。

みなさんにとってケータイの価値は何ですか?

私があまりケータイを活用してないだけかもしれないけど、みんなこんな感じではないでしょうか。せめて、音楽をケータイで聴くっていうのがあるくらいかなぁ・・どうですか?



しかし、未来はどうなるかわからない!ということで、ちょっと柔軟になってみて、通話・メール以外にケータイに求めることを少し考えてみたとき、森さんの言っていたGPSは充実したらかなりいいですね。世界で使えたら本当にいい。海外旅行しても迷子にならずにすみそうです。

先にも書いたように、何か新しいサービスによって発展を目指すのであれば、そのサービスを提案するだけでなく、もうひとつ訴えるものがなければ(例えば、金額がそれほどかからないとか、面倒な契約不要とか、金額・契約がある程度わずらわしくても魅力的であるとか)、ほとんどの人は今のままのケータイに満足しているのではないかということです。
そんなサービスはいいから、ちょっと安くしろというのが私の意見。

議論したい点は
・ケータイに私たちが求めていることは何か
・新たなサービスをもっと人々が積極的にとりいれるにはどのような工夫が必要か
(サービスそのものの改善、コストの改善などなどの点から)
・森さんの言う、日本のケータイビジネスが海外で席捲するということについて
(結局ソフトバンクはそのようなビジネスを展開できたのか?)

森さんのコラムを読んで

-仕事の価値を高める「デザイン」と「クリエイティブ」-

【感想】
クリエイティブクラスの世紀の中で価値創出力というのは3つのT、テクノロジー、タレント、トレランス(寛容性)を揃えることで高まると言われている。私は森さんがおっしゃるようにトレランス(=「多様性」を受け入れること)はイメージしにくく、トレランスにひっかかった。「多様性」を受け入れることはいいと思う。しかし、多様性を受け入れることで価値創出力の高まりが得られるかというと、そうだろうか?「多様性」を受け入れることをした上で、それらを融合させることで新しい何かが生まれるのではないだろうか。

そして、その新しい何かを生み出すと言われているクリエイティビティー。私はこの「クリエイティブ」だとか「クリエイティビィティー」という言葉に疑問がある。クリエイティブ=「すごい」とか「偉い」とかそういう風潮を感じる。そもそもクリエイティブと何だろうか。新しい価値が求められているというのは強く思う。しかし、森さんのおっしゃている「たとえアーティストと自称していても、実はクリエイティブ・クラスとしての条件を満たしておらず、本来その職業を選択した意味を失ってしまう可能性はつねにありうる。 」や「業界の幻想に甘んじているだけだったり、本来の目標を忘れて、見た目だけの(なんちゃって)デザインにだけうつつを抜かしてはいやしまいか。」のようになる危険も感じるのだ。

新しい価値の創出というのは魅力的だとは思うが、それだけにとらわれずに業種、業務がクリエイティブなものでない仕事の重要性や大切さを忘れてはいけないと私は思う。

【気になった点】
1.寛容性(多様性を受け入れること)で価値創出力は高まるのか。
2.クリエイティビティーとは。

コラムを読んで

・静かに変貌する世界―MSのYahoo買収騒動…
・新TVポータル「アクトビラ」で消費者を満足させることができるのか
・Windows Vistaの挑戦
の3つの記事において、ビジネス領域の変更・創造が重要であるという点が共通していると感じました。

『ネットやIT領域での競争は、常にジャンルやカテゴリの新たな線引きを伴っている。』という主張は、確かに納得できます。
しかし、実際に新しい土俵をどのように定義したらいいかは、難しい問題です。リスクを覚悟で、どんどん動くしかない、ということなのでしょうか。
一度優位に立った企業ほど、イノベーターのジレンマに陥りやすいことは知られています。マイクロソフトやヤフーの優位性が低下し、ソニーがゲームで苦労していることは、指摘されている通りです。新たな市場のリーダーという位置づけからは、新しいものは生まれないということが、普遍的に当てはまるのでしょうか。

たとえば、wiiとPS3はどちらもゲームの新しい領域を開拓しようとした製品だと思われますが、消費者(市場)の受け止め方が異なりました。このような違いは、それを出した時期や値段によって、影響されたのでしょうか。それとも、適切なコンセプトを探しあてられたかどうかが重要なのでしょうか。
全体を通して、新しい技術がどんどん生まれてくる不透明な時代に、求められる製品をつくりつづけることがいかに難しいかを考えさせられる記事が多かったように感じました。

・日本のSNS利用はもう限界なのか
の記事も面白かったです。
プロファイルの複数所持は、私も必要な機能だと思います。

SNSの本質は、人と人の関係を可視化し、促進することで、人が集まる場所をつくることなのではないかと考えます。
森さんは、SNSに集う人の目的が、米韓では情報発信的側面が強く、日本では「つながる」側面が強いこと、SNSの加入者数が普及上限に達しつつあるとも指摘しています。


そこで、議論したい点は、
①具体的な領域の変化にどう対応し、新しい土俵を創造していく方法とは、どのようなものか(experience design?)
②新しい領域を開拓する製品の勝負の分かれ目には原因があるのか、偶然の産物か(あるとすれば、それは何なのか。タイミングか市場調査かetc)
③今後SNSがどうなっていけるのか

コラム☆厳密会計ルールが日本の成長を阻害する

【感想】
中小企業中心のコンテンツ産業がより発展する為に、著作権問題なども乗り越えなければならないのに、更に厳密会計ルールが更に企業間の連携を妨げている。「コンテンツ立国」をうたう日本の方針とは全く矛盾した道を進んでいるように感じられた。
このままでは日本のコンテンツ産業は更に世界の動きから遠のくだろう。日本の政府はどのようにこの事実を捉えているのか気になる。

コンテンツ産業の発展を拒む、考えられる要素を挙げてみた。括弧は原因と思われる組織。

  • 著作権(政府)
  • 企業間の非連携(企業)
  • 厳密会計ルール(政府)
  • 経営者への過度の責任追求(監査法人又はマスコミ?)

一番最初の著作権は、コンテンツのブロードバンド上の2次利用を妨げるなど、現在あるコンテンツを出し惜しみしていることによって、新しいクリエイティブな芽を摘んでしまっている。真ん中2つは、複数のクリエイターが知の集合によって一つの作品を創り出すと言う時代に、その共有を妨げる原因を作っている。最後の「経営者への過度の責任追及」は、失敗した時の責任を恐れてなかなか果敢なチャレンジがしにくくなる原因である。このように、以上の4点はクリエイティビティが重要であるコンテンツ産業の発展を害する。

特に、厳密会計ルールによって、成功失敗がわかりやすいコンテンツ産業のイノベーション・ジレンマが更に深刻となる。これではどんなにコンテンツ流動制度の環境整備が整ったとしても、他の企業と連携プレイがしにくいことから、コンテンツの質が低下してしまう。そもそものコンテンツも減少してしまうかもしれない。折角、クリエイター(アーティスト)を志す若者も増えてきたのに、「著作権の侵害」「非連携的な制度」が、彼らの夢を実現を拒むようになり、結果的には潜在意識的な表現の自由が侵害されるのではないか。こんなオカシナ現状は変化させていかなければならない。

【議論したい点】

  • コンテンツ産業が直面する最大の壁(著作権なのか、企業の非連携的な正確なのか)はなにか。
  • 著作権法整備、厳密な会計ルールの改変やデジタル元年の前に、コンテンツ産業がより発展していく為の突破口はあるのか

コラムを読んで

 感想・質問・議論点
難しいがとても気になるところが何点かあった。(コラム二個にまたがってしまいます。。)
“ケータイに革新をもたらす「無駄」の存在”で「GeoDecのような大容量コンピューティングシステムを使えば、屋外広告とケータイを組み合わせたようなアウトオブホーム(OOH)メディアをダイナミックにデザインできるようになるんです。ケータイの中で完結するビジネスに終始するのではなく、ケータイの位置情報をさらに巨大なGeoDecのようなシステムの中に取り込んで、街を丸ごとパーソナライズした広告メディア空間にしてしまおうという発想なのだ。」という部分がなかなか想像できなかった。

街をパーソナライズした広告メディアとは…?
 
そして“Web 2.0という時代の先にあるもの”で「身体性の延長では、まずは携帯電話が「公式サイト」との関係性という呪縛から抜け出すことで、あちら側(ネット)とこちら側(リアル)の架け橋としての存在感が加速度をつけて増してくるだろう。これまでネットはPCをインターフェースとしてきたが、携帯電話が物理的な自由度を伴ったインターフェースとして機能しはじめることは、すでに予定調和的な現実だ。」とある。
 
 携帯がまた新たなビジネスや価値観を私たちに与えてくる、与えることができるということはわかった。これがどのようなものなのか聞きたい。これから携帯ができることについて話し合いたい。

さらに“Web 2.0という時代の先にあるもの”で「PCを介してネットはリビングなどの家庭内ネットワーク環境(と、その周辺端末)に浸透していくはずだ。そして、それほど遠くない未来で、街中などに設置された公的なセンサ網との連動すら起こってくるだろう。また、単にリアルタイムでのリンクだけではなく、蓄積された膨大なデータを処理することで得られたメタデータによって、これまでにはない価値の創出がなされるに違いない。」とある。
 
 家庭内ネットワークとの連動とは例えば、冷蔵庫の中身が買い物先で調べられる等の機能のことだろうか?どのような価値の創出か? 解説してほしい。
 これから先、インターネットがどう変わっていくのかがまったく予想ができない。(現状にもついていけてないが) 今の状況が限界で、これから先インターネットをビジネスとしたものはどんどん少なくなっていくといわれればそんなような気がする。SNSの雲行きも怪しいらしいし、ウェブ2.0も言葉が先行していると言われる。今よりも少し先の時代、携帯を含めたインターネットにどのような可能性があるのか、どのような可能性を与えられるのか、お話を聞いたり議論したりしてインスピレーションを得たい。

Web2.0という時代の先にあるもの

「Web2.0という時代の先にあるもの」
http://japan.cnet.com/column/mori/story/0,2000055916,20340040,00.htm(1ページめ)

1ヶ月ほど前のゼミで、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」(ちくま書房)という本に関して、議論を行った。そのときは、「このようなことが起きるのか…」と衝撃を感じた。検索エンジンとして何気なく使っているGoogleが、あらゆる情報を網羅し、管理する(そこで引っかからない情報はないほどまでに)という理想を持っていることを知ったからだ。

しかし、現実を冷静に振り返ってみるとき、あの本に書かれているようなことは本当に起こっているのだろうか? と疑問を感じる。確かにWeb2.0のサービスによってユーザーの情報発信や、企業と消費者の交流促進という目的は達成されつつあると思う。
しかし、「ウェブ上の民主主義」や「ロングテール」に関して言えば、膨大な検索結果を参照する余裕のあるユーザーなどはどれだけ存在するのだろうか? 仮にたどり着いたとしても、それが本当にニーズを満たすものだろうか? ページランクが高いサイトのみを参照するという姿勢は、小選挙区制度が多数の死票を生むことと似ているように感じる。Amazonが過去の購入履歴から本を薦めるサービスにしても、それが本当に消費者のニーズに合っているかどうかは、読んでみなければ(立ち読みしてでも)分からないだろう。

議論したい点
①AmazonやGoogleなど、Web2.0の今後について。ウェブ上の民主主義や、ロングテールが注目されるためにどのような取り組みが考えられるか?
※「実際にはインターネットという均質的なインフラが構築されても、依然として社会構造は均質的にはならず、むしろ情報部分の社会経済的な疎密という側面をより大きく強調することになった(以下略)」という部分に関連して。
②「あちら側」ではなく、究めて身近な「世界」への揺り戻しがあるのではないか、という指摘は当たっているか?
※携帯電話に関して言えば、より快適にサイトを閲覧できるようにしたり、PDAのような機能を搭載しているものが注目される動きもあるように感じるが…。

変わるクリエイター、変化に目をつぶるメディア

(感想)
森さんのコラムを多数読みましたが、自分の研究に最も近いコラムを選びました。気になった点がいくつかあります。一つ目は、クリエイターがハードの部分も意識し始めて作っている傾向にあると書かれている点です。芸術の分野にも最適な配合比率が存在し、世界的にも最も成熟した消費者文化を擁した日本市場を対象にする限りは、独り善がりな作品創りはおのずと収益性に限界が生じ、それへの投資などもされなくなるとある。これは最近よく言われていることであり(村上隆の芸術起業論など)、これからは戦略的なクリエイターが生き残る時代なのかもしれない。私もハードとソフトのバランス感覚を身に付けたいと思います。
二点目はコンテンツ立国に必要な支援とは何かということです。こちらがメインです。①資本調達スキームの多様化、②契約を支援する法律家の育成、③下請け環境に甘んじざるを得ない制作会社の地位の改善、④企画から契約までのすべてのプロセスでキーとなるプロデューサー人材の育成など、ピンポイントで押さえるべきところはすべて押さえつくした感があるほどだとある。①〜④の問題に対して、日本の現状を聞きたい。特に①③④は気になるポイントです。資本調達に関しては、シネカノンが投資ファンドでフラガールやパッチギなどを製作し成功していると聞いた。この分野ではジャパンデジタルコンテンツ信託会社の映画投資への仕組みや会社の成り立ちなど、聞きたいことがたくさんあります。
三つ目は、メジャーなメディア環境は産業構造として大変革期を迎えているという感覚はないという点です。気づかぬふりをしているだけで、気づいてるとは思います。既存のマスメディアは今後どうなっていくのか。私はネットと既存メディアが共存していくシステムを考える必要があると思います。ここでCGMが挙げられ、既存メディアと比較されていたが、私はまだCGMには懐疑的です。CGMが既存メディアを凌駕するとは考えません。やはり質の高いコンテンツは既存メディアで流す可能性が高いと思われます。この点も議論できるポイントであると思います。このように一つのコラムを読んでも、議論すべき問題がたくさん書かれているので、読んでいて非常に面白かったです。

(議論したいポイント)
 ①コンテンツ立国に必要な支援とは何か?(現在の支援の現状を知りたい。資本調達スキームの多様化や制作会社の地位改善は絶対に聞きたいポイントです。)
 ②CGMは既存メディアに匹敵するか?CGMは今後どう発展していくか?それとも廃れるのか?(CGMの可能性について聞きたい。それと共に、既存メディアはどう変化していくべきか?どうネットと共存していけばよいか?の考えを聞きたい。)

5月21日(月)、ゼミの感想

NewsClipping
 ゼミの時間に言いたいことは言ってしまったので、これ以上言うことはほとんどありません。
 補足するとすれば、ネットでの投票は現段階では技術的に難しいのではないでしょうか。膨大な個人情報をネットワーク上で管理しなければなりませんし、個人情報の流出が取り沙汰されている中で、単に便利だからと言って導入するのは、国民の理解を得られないだろうと思います。

 あと、自分の担当分に関しては、ちゃんと準備をしておくべきでした。以後気をつけたいと思います。

福井健策氏を招いての討論
 「著作権とは何か」という本は、自分が昔ニュースで知った「記念樹」の盗作問題など、具体的かつ身近な論点をもとに構成されていて、興味を持って読めたと思います。
 ブログで内田さんなどが挙げていた「模倣作品の質がオリジナル作品を上回っていた場合は、許容されるべきではないのか」というトピックがとても気になっていたので、それに関する福井さんの回答が印象に残りました。つまり、

①オリジナルを創造した人の生活や名誉を保障する必要がある。
②模倣作品が高く評価されるならば、オリジナルを創ることに意味がなくなる。するとかえって創造が細くなってしまう。
③「上回っている」と誰が判断するのか?

 特に②に関して。なるほどと思う反面、模倣することで作品の価値を高めようとした人もそれなりの評価をされるべきであると思い、そのバランスをとるのが難しいと思いました。

森さんのコラムの感想☆

私が選んだコラム:仕事の価値を高める「デザイン」と「クリエイティブ」

*感想*
このコラムの最後の「今、この瞬間は完全でなくともいいだろう。しかし、明日からでも今の仕事はクリエイティブ・クラスとしての条件を満たし、そして本来あるべき仕事をデザインすることを心がけるだけで、あなたの価値は高まっていくに違いない。そんな「デザインとクリエイティブ」のセルフチェックをしてみてはいかがだろうか」という文章を読んで、私はクリエイティブ・クラスとしての条件を満たしているだろうか、と考えてみました。

私は、クリエイティブ・クラスという概念は、私たち学生にも適用させることが出来るのではないかと思いました。「本当に必要とされているものは何かを、既存の思考の枠組みを外して考え、必要に応じて外部の資源ややり方の導入をデザインする」これは仕事だけにあてはまることではないと思います。

もっと極端に言ってしまえば、他人から見れば単純そうに見える作業であっても、やっている人自身が工夫を凝らして行っているならば、それはクリエイティブな作業と言えるのではないかと思います。私は洗濯物を干す時は左右のバランスをとても気にします。そしてなるべく左右対称になるように心がけます。ただ干せばいいとゆうものではないのです。見た目にも美しい洗濯物を常に意識しているのです。(別に誰に見られるわけでもないのですが…)

「業種や業務がクリエイティブなものでなくとも、気の持ちよう次第でデザイン志向を取り込み、既成観念を超えた新たなクリエイティブ・クラスとしての働き方を確立することもできるのだ」と述べられているように、どんな仕事をする上でも「デザイン」と「クリエイティブ」というキーワードは重要になってくるのだと思います。これからは、どんなときでもクリエイティブを合い言葉にしようと思いました。


*質問したいこと・議論したいこと*
森さんはお仕事をするうえで、クリエイティブ・クラスとしての条件を満たすためにどのような気持ちで取り組んでいるのかをお聞きしたいです。それから、大学生にクリエイティブ・クラスという概念をあてはめたら、具体的にはどうゆう条件が考えられるのか議論してみたいです。私は、与えられた課題をこなすだけで割と精一杯なので、クリエイティブでも、デザイン志向でもないのでしょうか?でも、与えられた課題をこなすプロセスにおいてクリエイティブさを発揮することもできるかなと思ったりもします。

メディア産業:ダイナミクス×政策

*前略*
もともと自分の興味あるタイトルを10個程読んでから、最終的に一番議論したい点を含むコラム1つに絞ってUPしようと思っていたのですが、読み進めるうちに、其々のコラムの根底で共通する部分(テーマ)があったので、そのテーマを軸に感想および議論を述べることにしてみます。

*テーマ*    

  • ダイナミクスに欠くメディア業界+整合性を欠くコンテンツ政策

昔から考えていたが、最近日本のメディア業界の産業構造に危機感を覚える。とくにメディア再編が世界で相次ぐなか、日本の業界は出遅れた感が否めない。このままでは日本のコンテンツの質が落ちるうえに、世界の流通市場で孤立する可能性が高いような気がする。どうしたら変化するのか;政策的介入か、産業界の意識改革か、CGMに代表される個人のパワーか。森さんのコラムを読みながら、この従来からの疑問点がかなり明確になった。それはつまり、政策と産業界の乖離が問題であるということである。(主要コラム=『定額制音楽サービス』+『放送と通信の融合』+『変わるクリエータ、変化に目をつむるメディア』)

政策と産業界の乖離:行政が「コンテンツ立国」を掲げて提示する戦略はどれも必要なものであるが、なにか「縁の下の力持ち」的な部分に重点を置きすぎなような気がしていた。それはつまり、契約法だとか、制作会社の地位改善だとか、プロデューサー育成だとか、いわゆる『変わるクリエーター、変化に目をつむるメディア』(2006年10月30日)に書かれていることである。がいかんせん、いくらここががんばっても、規模が小さすぎるのではないか。縁である「メジャーなメディア環境」を抜本的に変えていくことにこそが、日本の将来に必要なのではないか。おそらく森さんも似たような考えだと思うが、明確に「制度的な方法ではなく異なる手法を考えねば」、「税制や会計基準といった一種ハードな改革」を示唆するあたり、なにかお考えのような気がするので、そこのところを詳細にお聞きしたい。

政策に整合性がない原因:政府は多様なコンテンツを作れる環境を整えたいくせに、デジタルに対する著作権管理は厳しく、既得権益(主にテレビ業界)の現状維持主張に寄り添う形でメディア業界の構造をダイナミックに変えようとしない。このように議論していること自体が無駄であるような整合性のなさはなぜ起こるのか?裏にだれか権威を振るうスーパーパワーがいるのか、それとも政策決定の主体としての審議会・懇談会の限界なのか?

  • アンバンドル+リバンドル

(前略:アンバンドルとかリバンドルの議論は難しくていまいちよく把握できていません)2007年4月20日の『ケータイに革新を生み出す「無駄」の存在』では、米国のアンバンドルしている携帯事業と比較して日本はまだまだ垂直統合で駄目だという議論だが、遡って2006年3月24日の『ソフトバンクによってリバンドルされる通信』では、垂直統合により拓ける可能性を示唆している。一体どちらいいのか。私の勉強不足で申し訳ないのですが、リバンドル+アンバンドル議論がなかなか掴めないので、簡単に把握できるものであれば、それを交えて日本の携帯市場(orメディア業界全体)のバンドルに基づく特異性をお聞きしたいです。

______
追加のちょっと細かい質問
・日本のテレビ業界がGoogleと連携してビジネスを立てようとすれば何かが変わるかも?そのような動きは実際あるのでしょうか?皆無でしょうか?日本の広告業界に一石を投じる意味でも有用な気が・・

2007-05-25

Web2,0という時代の先にあるもの

 感想
 森さんのブログを読んで印象的だったのが最後の「Web 2.0の次こそがインターネットがもたらす変化の本命となるのかもしれない。それは、きっとウェブに限定されない、ネットとリアルのインターフェースに依るものではないだろうか。 」という部分である。僕はこの意見に賛成です。森さんの「日本のSNS利用はもう限界に達したのか」というブログに次のようなものがある。

 社会的役割ごとにプロファイルを複数所持でき、それらを階層化したり、あるいはリンクが時系列に従って希薄な関係性になっていくことを許し、その際にはその情報の伝達量も希薄になっていく(あるいは優先度が落ちていく)といった、認知的な社会的資本の捉えかたを実装したSNSの出現が望ましいのではないか。

 SNSに関しても「ネットがリアルの世界にも反映される」のが、日本のSNSが生き延びる道だと森さんは伝えたいのだと思った。(しかし、リアルといっても濃いコミットメントを求める現代の日本の”リアル”の世界ではないが…)

 ネットがWeb2.0といわれているようにあちら側が進化しても、人間抜きでネットを語れないはずだ。もちろんネットを使うのは人間なのですから。なのでweb2.0の先にあるのは「人間とネットの融合がさらに進んだ社会」のはずだ。

 議論したい点

 ネットとリアルとがインターフェイスされる世界こそが未来のネット社会の理想ではないか。

森さんのコラムを読んで‐Web 2.0という時代の先にあるもの

Web 2.0という時代の先にあるもの

去年の10月に論文を書いていたころから、ずっとWeb2.0の先はどうなるのか、ということを考えていました。

コラムの中で書かれていることでもあり、(わかっている人がほとんどだと信じつつ、一応)Web2.0というのはすでに先行していた技術を包含する言葉であり、それ自体は「バズワード」と言ってしまえるような気がします。<ちなみにWeb2.0という概念とその単語を中心とした現在のインターネットの本質が非常にわかりやすいので、ばっちり読もう!>


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僕が、このコラムで最も印象に残ったくだりは


「あちら側」ではなく、究めて身近な「世界」への揺り戻しがあるのではないか。

というところです。
特に「揺り戻し」という単語が僕の“これからのWeb”に関連する事項に対する思考の中心です。
いろんな部分で揺り戻しがある可能性があると思うんですが、この森さんの究めて身近な「世界」への揺り戻しというのは自分では考えていなかったことでした。

僕のWeb2.0観というのは、ロングテールが中心にあって、矮小な産業・企業etcでも力を持つことが可能になり、世界がフラット化していくというものでした。
それにおける、僕の結論は「大企業⇔中小企業」というインパクトの波の揺れが起こるだろうということでした。
このことがいかに小さな視点であったかと、今はまた新しいことを考えようとしているところです。


物事を見る視点として、マクロな視点でミクロな変化を見つけることが重要だと思います。
森さんのそうした視点の根源というか、着眼するきっかけなどもお話させていただく上で、感じられたらなと思います。


<議論したい点>

・Web2.0的なものはあくまで経済的価値のための場であり、それ自身のビジネスモデルは広告モデルに依る。
では、森さんのいう3.0としての「ネットとリアルのインターフェース」もやはり場としての機能に期待する部分が多いのだろうか。それ自身に経済的価値を生むためにはどうすればよいだろうか。(もしくはそれ自身に経済的価値を生む必要はないのか)

Second Lifeは日本で成功するか

=議論したいテーマ:second life=

 ただでさえあまり知られていなかったにも関わらず、日本版登場延期により社会の関心が一気に冷めてしまったような感じもするsecond life。
果たして日本での普及は期待できるのだろうか。

 森さんもコラムの中で言っているように、second lifeのポイントは現実世界と空想世界との構造の二重化だろう。 second lifeを「仮想空間だから何でもできる」とみるのもいいが、通貨により繋がった「現実世界との二重構造」の中にこそ大きな可能性を見いだすことができそうだ。

 さらに、私はその二重構造が確かな意義をもつためには十分な数の参加者が必要だと思う。
現在はどちらかというと企業の広告手段として利用されているように見受けられるが、参加者が増えることでより利用可能性も広がるのではないか。

 たとえば、前々回のNCで話題となったeランニング。もしsecond lifeが充分に普及し、現実世界の地図がsecond life内に登場したならばその中での学校・予備校でのeランニングも可能になるだろう。

 仮想世界の中に現実同様の世界の構造をいかに持ち込むかがsecond lifeを一過性のブーム・単なるオンラインゲームの一つとして済ませないためのポイントなのではないか。

 2006/11/27 にsecond lifeについてコラムを書いていた森さん。
半年たった今、森さんが考えるsecond lifeとゼミ生との意見を交換してみたい。

新テレビポータル「アクトビラ」で消費者を満足させられるのか

■□■感想■□■
国内メーカー6社が設立した、新テレビポータル「アクトビラ」であるが
森さんが指摘するとおり、消費者たちを満足させることはできないと思う。
昔の経験になるが、BSデジタルが開始された当時、私の家でもBSデジタル対応テレビを購入した。物珍しさに、クイズ番組などに、オンラインで参加したことがあるが、最初の1・2回で飽きてしまい、時がたつとオンライン機能の存在を殆ど忘れ去ってしまっていた
今回のアクトビラも、同じような現象で終わってしまうと思う
なぜなら、まず、パソコンがテレビという機能を持ってしまったから。
私自身、今は1人暮らしていて、テレビはなく、テレビ機能付きパソコンだけを持っています
テレビをみながら、気になった言葉などを、すぐにネットで調べてみたり、YouTubeのようなサイトで個人が作成した動画を楽しんだり....また、PCは、テレビの機能を持つだけではなく、テレビよりも魅力的な使い方やコンテンツが多いです
そうゆう点から考えると、今回のような閉じられた新テレビポータルでは、何も消費者にとって新しいことではないと思うのです

民放が多額な投資をしてまでも、アナログからデジタル化するのは、デジタル化の利便性以上に、通信業界が放送業界を飲み込もうとしていることに対しての抵抗だ、と言ってる人もいます。地上デジタルに移行するよりも、全てをインターネット経由で放送できるようにしたほうが、ずっと少ない投資で新しいサービスを提供できる、とも言われてします。
テレビ局の今の収益モデルを考えれば、完全にインターネット経由にしてしまうのに、抵抗があるのは分かりますが、もう少し消費者を満足させるような新テレビポータルを作ることは、技術的に十分に可能だと思います。やはりテレビ番組を見るという点では、テレビにだってパソコンに負けないメリットもあります。テレビは今までのテレビであり続けるのか、革新が起きるのか、これからどうなっていくのかが、気になります

■□■議論したい点■□■
①テレビは、今のままで良いのか。今のままでも、売れ続けるのか
②より自由なネット機能をテレビが持つようになったら、パソコンとテレビの関係はどうなるのか

森さんのコラムを読んで

日本のSNS利用はもう限界なのか


★感想★

コラムの中で、SNSのユーザー加入数が頭打ちになってきていることが指摘されています。この点にはメリットとデメリットがあると思います。

メリットとしてはSNSがこれ以上人口が膨れ上がってしまうと、コミュニティーが荒れたり、オフ会の場でトラブルが発生したりするリスクが肥大化してしまうため、加入者数はある一定のところまで増えればそれ以上増える必要はない、とは思っています。とても保守的な考えですが…。今までネガティブとされてきたバーチャルな環境で、安心できる場が浸透していこうとし、いろいろな形のSNSが出てきています。加入者数を増やし、今まで以上に私たちの生活にコミットさせるようなサービスを作るならば、大手のサイトが音頭を取りセーフティー環境に関してのガイドラインを強化すべきだと思います。

デメリットには、加入者数が頭打ちすることと連動していると勝手に私は思っているのですが、アクティブユーザーが減ってしまうことです。ユーザーが減ってしまえば、SNSがそれ自体の機能を果たさなくなってしまうからです。

また、SNSの可能性を広げようとする時の課題として、若年層が馴染みやすいコンテンツを作ることが不可避だと思います。インターネット業界全体として、長期的に利用してくれマネタイズの可能性も広げられる若年層を取り囲むことが競合との差別化を図る上で重要なキーになります。


★議論したい点★
・SNSを単なるネットサービスの一つとして認識するならば、SNSにそれほど着目する必要はないと思う。SNSは私たちの生活にそれほど恩恵をもたらしているだろうか?

森さんのコラム -日本のSNS利用はもう限界なのか-

日本のSNS利用はもう限界なのか2007年3月5日

┣感想など┫

以前「『YouTube,MySpace,Google』のどれが一番重要か?」というを質問を受けたことがある。少し悩んで僕が出した結論は『MySpace』だった。その理由は、いくらデジタル技術が進化して、便利な世の中が来ても「人間関係」だけは、代用できないと感じているからである。
SNSは、小中学生の頃に(カワイイ女の子から渡されて)書かされた、Profile集に似ている。自分はこんな人間で、こんな事を考えていて、最近こんなことがあった、と言うような項目を書く欄があったと思うが、SNSとはまさにその電子版である。それは、相手との濃い繋がりを求める日本人的な感覚なのかもしれない。

森さんのコラムで指摘されているように、所謂mixi疲れで、mixiを利用しなくなった人は多いように感じてている。先日ユーザー数が1000万人を超えたとのプレスリリースが出ていたが、身近なところでのアクティブユーザーは減ってきている。一年前は、今よりマイミクの数は少ないのに、毎日の日記の更新の数は今より格段と多かった(忙しくなったなどの理由もあると思いますが)。

PCでのアクセスが減り、モバイルでのアクセスが増えているという指摘もあったが、モバイルでSNSを運用しているDeNAは、これからもっと伸びると感じている。僕なんかは、携帯使っている時間より、PC使っている時間の方が長い為、Twitterの方を使ってしまうが、いつでもどこでも誰とでも繋がることのできるモバイルの可能性を、mixiやgreeはDeNAに負けないように、もっと考えなくてはならないだろう。

(ちなみに僕は、Lingr,Twitter,ニコニコ動画の3つのサイト程、現在の僕の生活を駄目な物にしているサービスは無いと思います。)

このコラムの最後で、次世代型SNSの提唱がされていたが、レイヤーに分けてマイミクを管理できる機能を、mixiには早く搭載して欲しい。


┣質問したい項目┫

+広い意味でのSNSとしての、Lifelogの可能性をどう感じているのか?
+SNSがファッションのように移り変わりやすい物だとすれば(FriendStar→Orkut→MySpace→Facebook? Gree→mixi→モバゲー?)、短期間で収益を出すビジネスモデルを確立しないといけないと思うが、SNSのビジネスもでるは短期間での広告ベースのみなのか?

5/28 NC 「あちらの世界への移行」

日経コミュニケーションズ 5月15日刊行

「SaaS導入の心得」

要約
最近、インターネット経由でサービスとしてソフトウェアをオンデマンドで提供する
形態、SaaS(サース)が注目されている。企業のデータ、セキュリティも含めたデータ管理、アプリケーションソフト本体などほぼすべてをインターネットの「あちら側」で処理してもらうという考え方だ。国内ユーザー企業も次第にSaaSへの乗り換えが始まっている。主に三菱UFJ信託銀行、みずほプライベートウェルネスマネージメント、日本郵政公社、ソフトバンクBB等のほか、日本大学でも利用されている。

オンデマンド型SaaSのサービスのメリット

  • 導入コストが低い
  • システム導入に時間があまりかからない
  • セキュリティ・パッチやバージョンアップといった作業をする必要がない
  • 他のシステムとの連携
  • 中小企業の生産性の向上

オンデマンド型SaaSのサービスのデメリット

  • 数あるSaaSを比較して導入を試みる際、判断基準となる情報の不足
  • デジタルデハイド

詳しくは、当日の参考資料を交えて話したいと思います。

感想

SaaSの導入が「いつでも・どこでも」のユビキタス社会を前提にしていることに多少戸惑ったが、世界的な動きからしても「あちら側」の世界に業務委託していく動きには逆らえないようだ。私はこのSaaSの導入によって企業の体制が大きく変化すると感じた。SaaSの導入によって、より企業での業務が意思疎通の簡素化、情報の透明化によって効率的になる。特に今までコストが高くて導入できなかったソフトウェアを中小企業がSaaSを利用することによって利用できることは大きな変化に繋がりそうだ。また、今までSEなどの対応できる人材が必要だったがそれもSaaSによって解決できることで、中小企業の生産性が著しく向上する可能性も高い。今後、SaaSと中小企業の動きについては面白くなりそうだ。また、日本がいち早くSaaS事業の先行開発を進めれば、アジア諸国の台頭としてその技術を輸出できる可能性もある。日本はSaaS事業の導入の動きをより先取りし、開発進めて、制度を成立させる必要性があるのではないか。

<主な議論点>

  • SaaSによって企業内のコミュニケーションが活発になることのメリットは何か。
  • 全てのアプリを「あちら側」のサービスに任せてよいか。そのリスクは何か。
  • 「こちら側」で利用するソフトウェアの必要性は何か。

News Clipping

☆出展
5月18日、19日(二日間の連載記事)
日経新聞朝刊 「メディア地殻変動 トムソン・ロイター誕生」

☆要約
18日
メディア企業が世界規模でのM&Aに動き出した。英ロイターは米カナダのトムソンと経営統合し、電子媒体を使って、金融分野の顧客に総合的に情報提供していく基盤を築く。統合によって、金融情報サービスでナンバーワンになることを目指している。
一方、経済専門の無料日刊紙「シティーAM」が、発行部数10万部に達した。無料紙の躍進は目覚しく、デンマークやスペインでは無料紙の割合が新聞市場全体の五割を超える。
高度で対価も大きい金融・経済情報と、その対極にある「無料情報」。いずれもが拡大し、重なり合う時代を迎えた。英高級紙「タイムズ」を傘下に持つニューズは無料夕刊紙「ザ・ロンドン・ペーパー」を発刊した。その一方でウォールストリート・ジャーナルの発行元であるダウ・ジョーンズの買収を狙う。
メディアはM&Aにより大きな地殻変動に見舞われている。
19日
自らコンテンツを制作・保有しないYoutubeの買収額は16億ドル。同様にコンテンツを持たないグーグルの時価総額は1500億ドルに達する。タイムワーナーは、映画のワーナー・ブラザーズ・雑誌のタイム・テレビ局のCNNを抱える世界最大級のコンテンツ所有者で、時価総額は820億ドルである。これはグーグルの半分の金額。「コンテンツが王様」と主張してきたタイムワーナーのCEOの自信が揺らいでいる。
活字メディアにおいても、記事の質の高さから「世界で最も権威のある新聞」と評されるニューヨークタイムズがネットに乗り遅れた。それによりデジタル関連事業は売上高の一割にとどまっている。
「伝統と変化への対応をどうバランスさせるか」というのがメディア企業の大きな課題である。

☆感想
この連載記事は、メディア企業のM&Aにおける価値やそれよって起こる変化に焦点を当て、現在のメディア企業は伝統と変化の間でどうバランスをとっていくのかという問題を述べた記事です。

日本でも買収の話はフジテレビとライブドアとか楽天とTBSとか、話題になってきました。

海外では無料の新聞が伸びています。日本でもだんだん新聞を読む人が減ってきています。今、日本で有名な無料紙といえばR25なのかなと思いますが、R25は無料紙の常識である芸能・旅行などの娯楽記事をのせたものです。その常識をやぶる「シティーAM」のような専門的な無料日刊紙がでたら私はやはりみんなそっちを読むだろうと思います。無料の新聞や専門誌がでてきたら便利だと思うし、実際海外で発刊されているのだから日本でも不可能ではないと思います。

19日の記事は小見出しが「コンテンツ頼み限界」とでていて、こんな話をゼミでもちょっとしたような覚えがあったので選びました。コンテンツそのものではなく、それを提供する場の価値のほうがあがってきている。メディアは現在、それまでの常識とはちがったことが起きていて、その変化と、今までの伝統のバランスについて考えるのに良いかと思いました。

☆議論点
「新聞社のビジネスモデルについて 現在の日本の新聞社の構造の問題点や新たなビジネスモデルの可能性など。」

「コンテンツ頼みの限界がきている現在、そのコンテンツを提供する場(youtube,google,mixiなど)の可能性について。」

「思考の枠を規定するグーグル」

「思考の枠を規定するグーグル」

・感想

(今回の感想は自分の思ったこと感じたことを自問していって書いてあるので支離滅裂な箇所と極端すぎるところが多いので訳が分からないと思うのですが、自分の思考回路(?)を辿ってみました)

 まず、これを選んだのは私の中で「答え」が一向に見つからないコラムだと感じたからだ。グーグルの悪い面に対して「どうすればいいのか」が分からない。だから、試行錯誤してみようと思った。

 「思考の枠」がグーグルによって規定されることは、コラムにも書いてあるようにグーグルが「洗脳以上に巧妙で強力」な力を内包しているからだ。この力が最大限に発揮された極端な場合を考えてみると、戦争や独裁政治にまでつながるのではないかと思った。よって、グーグルの悪い面があることを納得した。

 ではなぜ悪いのか考えてみよう。思考の枠が規定されるということは、表現の自由に何かしらつながってくると思うが、今まで表現の自由は本当に実現していたのかという問題を考える必要があると思う。NCで挙げられている「2ちゃんねる」に関して言えば、匿名で自由に発言、時には誹謗中傷するこは表現の自由が認められているから許していいことなのか?先週の「著作権」に関して言えば、バランスを考慮すると表現の自由は実現していないのではないか?と考えてしまう。

 そもそも、さっきから言っている「表現の自由」の定義は何なのかを考える必要も出てくる。自分の表現したいことが全て表せることが表現の自由なのか、ある程度の倫理や規範の範疇で表現することが自由なのかとなる。私は後者の意味においての「自由」だと思うが。

 「思考の枠」について話を戻すして、検索を提供する企業(グーグル)と、それを利用する個人と、それを管理しようとする国(三権?)の三者の関係について考えてみた。企業は個人にサービスを提供し、個人はそのサービスを利用することで企業の利益につながる。企業は国に保護されていて(運営することが認められているといった根本的なところで)国は企業が運営をすることで国力につながる。そして、個人は国に信託をしていて、国はその信託で成り立っている。この三角関係は全てが全てを補完しあっていて、切り離せない。そこで私がたどり着いたのは個人一人一人の思考の枠付けをしているのは個人それ自身ではないのかということだ。国は国民が信託しなければ成り立たないし、企業も国民の中の誰かが運営している。ただ、こんなことを言い出したら極論すぎるし、実際は一部の人間がそのシステムを作っている訳で、じゃあ個人がどうにかできるかと言ったら大掛かりになるだろう。

 そのとき、検索エンジンとかネットとかが国、個人、企業がよりアナログにある壁を取り除いてくれるプラットフォームとなることが大切なのではないかと感じた。それにはデジタルデバイドといった根本的な問題もあると思うが、差を埋めるの機能することもできると思う。

 次に考えたいのは、アナログにある「壁」を取り除く事と「差」を埋めることはどう違い、どう同じなのかということだ。私は「壁」を取り除くのは良いことだと思うが、「差」を埋めるのは決して良いこととは言い切れないと思う。金先生がおっしゃったアイデンティティーは自分と他者を差異化することで認識できるのだから、差が無いことは自分の存在意義を見失うことにもつながりうるのではないか?そうするとネットが先に述べた三者の関係を深化するためのプラットフォームではなく、単一の考えしかできない個人を産むプラットフォームになってしまうのでは?ということはつまり、思考の枠が規定されてしまうことになる。

 ここで、また振り出しにもどってしまった。差とか壁についてはどこまでが平等で、何が平等なのかを見極める力が必要だと思う。人それぞれものの見方や考え方は違うのだから。


 ここまで考えて振り出しに戻ってしまったので、最初に「答え」が見つからないと述べた。



議論したい点



上に書いたように、議論したい点ではグーグルそれ自体の話とは離れるが、

  • 「答え」が見つからない問題に「答え」はあるのか?

  • その問題を解くためにするといいことは?(解決するための秘策はあるのか?あるなら何か?)

である。


また、一応「思考の枠を規定するグーグル」に関した議論点を挙げておくと

  • 思考の枠は今まで規定されていなかったのか?このケースだけで「思考の枠」が規定されているのか?

森さんコラム"MShoo!"

『静かに変貌する世界』

─感想─
MSとYahoo!が提携したとしても決して不思議ではなかったこのような話はIT業界では頻繁に起こる話で、それこそがIT・ネット産業の急速な成長の素であると感じます。
イノベータージレンマの話はよくゼミでも取り上げられますが、一度成功した市場に長年へばりついていても、このような変化の中で生き残っていくことはできません。企業は常に、自分の位置する市場、自社組織を社会に対応できるように変えていかなければならない。これは、経営組織論の授業でもよく出てくるトピックでもあり、私としても非常に興味がある分野です。そもそも考えてみたら、人は常に進化(変化?)していく存在であるのに、企業だけが変わらないというのもおかしな話です。
また、広く他企業と提携しあうことも最近の流行のようです。クロスメディアやタイアップイベント・CMは今では当たり前の話になりました。自社に足りないものを補えるならば、ライバル企業との提携もありうる。一昔前だったら衝撃的なことなのかもしれません。

ゲーム機競争について。以前ゲームソフト企業の方にお話を伺ったときに感じた任天堂の最大の功績は「女性向けゲーム市場を一気に広げたこと」でした。今までゲームは男性や子供がするものと思われてきたものが、DSやWiiによって女性や中高年層まで浸透するようになりました。最初から、ゲームというのは男性市場だけである、と決め付けていたゲーム業界にとっては大きな前進になったのではないでしょうか。
一方、PS3の売れ行きの悪さについて、私も森さんがおっしゃられているように、コンセプトが先進的すぎたのではと感じました。PS3の性能は既にゲームの領域を超えてしまっていて、SCEとしてもゲームだけにとどまらないマルチプラットフォームとしてのPS3を目指していたのでしょうが、それが消費者には未だに届いていません。これは明らかにマーケティングのミスであると思いますが、それに加えて先進的なものはすぐには受け入れられないということも感じます。森さんが最後に書かれているSONYの動画サイトについても言えることですが、あまりコンセプトが先進的すぎるとユーザーには届かない(本荘さんの回で議論したアーリー・アドプターどまりでカズム(溝)を超えられない)。ただ、誰かが率先してやらなければ市場は開拓できない。このジレンマをどう企業が収益を出しつつ達成するかが重要だと思います。私個人としては時期を見極めるよりも挑戦的な姿勢の方が好きです。

─議論(?)したい点─
一度シンクさんにお邪魔したことがあるのですが、もう一度シンクさんが行っているアニメーションファンド等のビジネスについてもお話を伺いたいと思います。
個人的には、一つの記事に対して議論するよりも、もっとメタ的な議論として「企業はどうあるべきか、どう成長してゆくのか」についてお話したいと思います。このような提携・買収騒動が日々起こっている中、企業というのは一体なんなのか、どのようにあるべきなのかということについて皆さんとお話したいです。

2007-05-24

コラムを読んで

森祐治さんのコラム、「情報経済を読み解く」を読んで。

*感想
私がいちばん興味を持った記事は、「番組ポータビリティでパンドラの箱を開けるケータイキャリア」である。

日本は諸外国と比べ電話よりもメールを多様し、ケータイをデコレーションしたりストラップをたくさん付けたりと、通話機能以外の面でもケータイは生活の中で重要なポジションになっている。


しかし、ケータイ各キャリアはこぞって端末の機種数を増やしたり、機能を高性能化したりしている。他国に先駆けて、高性能のカメラ、カラー液晶、電子マネー、GPSなどを次々と搭載し、もはや「電話」とは思えなくなってきた。一方で、これらの高機能を充分に使いこなしている人もいないし、ケータイの多機能を必要不可欠なものとして考えている人も多くないだろう。高性能化の一端として、フルブラウザも利用できるようになってきている。ケータイでインターネットを利用するときは、今まで各キャリアのサイトからカテゴリー別に目的のサイトを探すことが主だったが、今は検索サイトを用いて、PCと同じように使えるようになってきた。

と、なると、ケータイはこれからどういう方向を目指すべきなのか。私はPCとケータイの境目がどんどんなくなっていくだろうと考える。今までは「PCで使えることをケータイでも」という風潮だったように思える。メッセンジャーにしてもSNSにしてもhotmail、Gmailにしてもそうだ。パケット通信料の定額制料金が普及するにつれて、ケータイとPCのコンテンツビジネスの融合が進んでいる。さらに、ケータイはPCに比べ「いつでも、どこでも」持ち歩ける特性ゆえに、PCよりビジネスチャンスは多いだろう。「PCでできること」にとどまらず、より生活に密着し、多様なユーザーニーズに応えられるコンテンツを揃える必要性がある。

コラムの中には「より現実の世界と仮想の世界をつなぐことによる価値を提供することにシフトすること」と書いてある。仮想の世界とは何を指すのかよくわからなかったので、是非お尋ねしたい。

*議論したい点
  • 現実の世界と仮想の世界をつなぐということはどういうことなのか。
  • 日本が諸外国に比べ、ケータイ先進国なのは日本人のどのような国民性が影響しているのか。

News Clipping

経産省、中小企業支援でデザイナーバンク創設へ
(読売新聞 5月22日) リンク

★要約★
経済産業省は、日本らしいデザインを生かしたモノづくりを支援するため、中小企業などに製品デザイナーを紹介する「デザイナーバンク」を創設する構想を固めた。
 欧米では日本のファッションや家具、家電製品などのデザインに対する評価が高い。製品デザイナーの得意分野や実績などをデータベース化して、デザイン部門を持たない中小企業などに紹介することで、日本らしく、斬新なデザインの製品を幅広く生産できるようにする。経産省は「感性価値創造イヤー」と定め、欧米の見本市への出展など販路拡大も促す。

参考 経産省、モノづくり競争力アップへ来年度から3年「感性価値創造イヤー」

★感想★

私は、デザインやアートに関してほとんど知識がありませんが、デザイナーを含むアーティストは自身のプロモーションや企業との契約がなかなかうまくいかない…という話を耳にしたことがあります。(実際どうなのかはゼミの時間までに調べます!)そうであるなら、政府がデザイナーバンクを設け、デザイナーを紹介するというシステムは画期的です。
しかし、この記事を読むと、あくまでも「日本らしいデザイン」を推進していくという話のように思えて、その点では、デザイナーの個性や創造性が尊重されるのかが懸念要素ではあります。

また、2008年度から3年間を「感性価値創造イヤー」と位置け、感性価値創造の普及に集中して取り組むそうですが、経産省が感性を普及させようとしている意図は何なのでしょうか。去年輪読をした『ハイ・コンセプト』で、これからは右脳の時代がやってくる…という話をし、感性もその一部に入ると思うので、感性を豊かにしようという取り組みは、とても時代に沿っていると思います。しかし、経産省は何をもって「感性価値創造」と言っているのかはちょっと疑問です。

2007-05-23

5/28 News Clipping

<出展>
 5月22日火曜日 朝日新聞朝刊 Media Times「2ちゃんねる」高まる批判
 (データベースから記事が見れます。)

<概要>
 インターネット掲示板「2ちゃんねる」への批判が高まっている。誹謗中傷の書き込みの「放置」について被害者らが管理責任を問い、次々と提訴。15日に起きた会津若松市の母親殺人事件では、逮捕された少年の実名が飛び交った。これまでも、名誉棄損やプライバシーの侵害が度々問題に上がった。ひとたび2ちゃんねるに書かれると、次々とブログなどに引用され、削除要請をしてもいたちごっこなのが現状である。加えて、2ちゃんねる管理人の西村氏は裁判所から削除要請をされても速やかに判決に従わない。後に命令に従うまで1日ごとに制裁金を課す「間接強制」の手続きがとられた。それにもかかわらず、西村氏は支払いの意思がないことを宣言し、不払いを続けている。ネット特有の匿名性を武器に急速に膨張した国内最大の掲示板だが、言葉の氾濫で規制強化の声を呼び込む格好になっている。

<感想>
 この記事を選んだ理由は、ネットへの規制と表現の自由について議論したいと考えたからです。2ちゃんねるはある意味で特殊なケースであるかもしれません。あれだけ巨大化しているのに、管理人個人の心持ちで運営されているからです。ヤフーの掲示板などは企業側が監視を強化しているようです。もしこのままネットの匿名性が続くならば、プライバシー侵害や名誉毀損を防ぐため、企業側の監視は最低限必要であると私は考えます。そもそも、私は匿名による書き込み等が表現と言えるのか疑問に感じています。言葉の暴力がネット上だけ許されることは明らかに不当だと思うからです。私はやはりどうしても匿名性の負の部分ばかりが見えてしまいます。このネットの匿名性という問題に関しても議論したいと思います。 あと個人的に西村氏のコメント「踏み倒せば払わなくてもいいという不完全なルールの中でみんな暮らしている。払わなくて死刑になるのならみんな払っていると思いますよ」に嫌悪感を覚えた。この場合、2ちゃんねるが包丁か拳銃かという問題ではないと思う。匿名性での書き込みと削除要請の無視から考えて、明らかに2ちゃんねる側に非があると思う。書き込んだ人は匿名だから裁けない。最後に、これらの問題を考えていて感じたのは、どちら側の立場にたっても真っ向から反論できるということです。つまり、どちら側にも言い分があり、どちらも正論をかざせるのです。そのため、両方から物事を見て考えることが大切であるということを再認識しました。これらの問題に対し、みんながどう考えているのか聞いてみたいです。

<議論したい点>
 ①ネットへの規制と表現の自由の問題
  誰がどの程度、ネットへの規制を行うべきか?(2ちゃんねるの規制は強化すべきか?)
 ②ネットにおける匿名性の問題
  匿名性における表現の自由とは何か? 
  匿名性のメリットとデメリットとは?


 

ゼミ感想─日本企業の交渉力

□NCについて
一番興味があったのは、携帯電話のwi-Maxについて。
携帯電話でのネット利用率は年々高まっていますが、やはり動画などのリッチコンテンツの投稿・視聴というのはなかなか難しいものがありました。今動画を携帯でみると、相当画質が悪い(ワンセグはまた別の話です)。携帯電話ネットビジネスは大きな市場が形成されつつあることを、どの企業も気づいてはいるのですが、なかなか技術が追いついていない状態にみえました。wi-Maxの登場によって、一気にリッチコンテンツビジネスが盛んになりそうで、非常に楽しみです。
また、ケータイ企業があらたに2社参入したら、また値下げ合戦になるのでしょうか。そこまで値下げしていったらもしかすると将来的には無線通信によって電話・ネット利用は無料になってしまうかもしれません。そうなると、ケータイキャリアのビジネスモデルは使用量課金以外の何かにならなければいけなくなります。その点キャリアはどう考えているのか気になります。

□福井さんとの議論
前々から気になっていたのが個人クリエーターがパワーをもったメディア等に搾取されているのではないかという問題でした。しかし、それだけはなく、なんとコンテンツを持っている日本企業が海外との契約において、パワーがこれほど弱いとは相当ショックでした。日本のコンテンツを盛り上げるといいつつ、海外に搾取され続ける日本(また、搾取に気づいていない日本…)。やはり、そのような風土の改善と、それなりの専門的知識と交渉力をもったlawerというのは非常に重要だと感じます。
また、UGCが盛んになり著作権の意識が高まるにつれ、プロではない一般人の著作物の不正利用の問題等、さまざまな問題がでてくると思われます。私は、このような問題に巻き込まれたアマや個人を支援する団体があってもいいのではないかと思います(調査不足なのですでに存在しているかもしれないですが)。みんなが安心して自分の作り出したものを発表できる・シェアできる社会にならなければ、本当のコンテンツ立国日本は訪れないと思います。

余談ですが、松尾スズキすごい好きなんですよね……なんだか最近すごい有名になりましたね。去年の大晦日!にチーム紅卍のサイン会に行くほど好きです。今度どなたか一緒に大人計画見に行きましょう。

5月21日福井健策さんゲストのゼミ感想☆

 今日のゼミでは「著作権とは何か」の著者であり弁護士である福井さんがゲストとしていらしてくださいました。
 本を読んでその複雑さと曖昧さを感じた「著作権」という権利。少し前までは著作物に携わる人だけが考えていればよかったこの権利が、ネット化によってそれを消費する我々一般人にまで下りてき、知らないでは済まされなくなったという感じを受けています。

 同じ一つの権利にも関わらずこの権利は著作物に携わる側とそれを消費(利用)する側とでその受けとめかたが大きく異なるものだと思います。著作権を持つ側の主張としては、権利をできるだけ確保し、著作物が自分たちの知らないところで流れてしまうことを防ぎたいと躍起になるでしょう。けれども消費・利用する側からしてみれば例えそれが違法ダウンロードだとよばれるものでも、「どうしていけないんだ?いいじゃないか」と考え既存の堅苦しい著作権こそがおかしいと主張してしまう…。

 どちらも、それぞれの立場にたってみれば最もな意見です。しかし一方で実際のところ、世の中で「著作権」が問題になる場合はその利害関係ばかりに目が向けられているように思えます。
 私は「著作権」について、本に書かれていたようにそれが本来、「芸術文化活動を促進するためのもの」であるとするならば、もっとネット上でのコンテンツ共有がなされた方がよりいいのではないかと思います。けれども、私のこの考えもコンテンツを利用する側の意見でしょう。

 こういった自分の問題意識のもとに福井さんのお話の中で印象に残ったのは、「著作権=情報独占権である」ということ、そして「著作権における正確な線引きはない。あるのは個人的なバランスラインである。」ということです。
 著作権に関する判断は例えそれが改正されるにしても最終的には個人が行なうことであり、著作物に関わる人一人ひとりが自分の利益・都合ばかりでない、他人にとっても理解可能なバランスラインを追求していかなければならないのだ、と考えさせられました。法改正には時間がかかります。けれども個人の意識は変えられるのです。

ゼミの感想

 News Clipingについて

 今回のニュース・クリッピングで印象的だったのは「ネットと政治」に問題でした。私としては、ネットで候補者のマニュフェストを公表するのは賛成で、より進めるべきだと思います。しかし、ネットで投票となると賛成できません。というのは、本人じゃなくて、他者によって投票される恐れがあるからです。ネット投票になると監視下におかれない中での投票になります。住民基本台帳ネットワークの番号を用いて投票する制度にすればいいじゃないかというかもしれません。しかし、番号さえわかれば他者でも簡単に投票できるということにもなります。住民基本台帳ネットワークの番号は以前に世帯主の所に郵送され、世帯主は家族全員の番号を知ることができました。すると、たとえ家族の意思に反しても世帯主が全員分の投票することが可能となります。なので、面倒ですがわざわざ投票する現在の形が好ましいと思います。むしろ、ここの家庭から投票できるものより投票所で電子パネルで投票できるようなシステムを構築したほうがいいと思った。

 あと、ゼミの途中で感じられたのが、自分が楽して投票したいような発言。みんな、ネットだけ見て投票したいといっていたが、実際に候補者の演説を聞くことも重要だ。そもそも政治家というのは地域の生の意見を議会に反映するところではないのか。今の若者の投票率が低いのは、労働組合に加入していなかったり、年金など現代起こっている問題に対して無知であるからだと思う。一般的に20代の投票率は20パーセント、30代の投票率は30パーセントというように年齢と投票率が一致するといわれている。いずれ、現代の若者も社会により接することによって投票したいという気持ちも高まるはずだ。

 長くなったが、政治家というのは本来「生の声を議会に反映する」存在であるので、安易に投票するべきではないということ、そして安易に投票させないためにもわざわざ投票するといった現在の形が好ましいのだと私は述べたかったのだ。

 著作権とは何かについて

 福井さんとの議論でわかったのが著作権法と創造性とのバランスの重要性である。バランスの重要性は何しも著作権だけには限らないはずだ。中国の昔の故事に行過ぎるのは誤るが如しというのがある。(はっきりとおぼえていないが) 

 しかし、著作権のバランスについて考えることは現在、非常に重要だ。私の意見としては個々の創造性をいかすようなシステムをつくるべきだと思った。

5月21日のゼミに関して

┏┓
┗全体を通して

政治とネットの話が主だったと思いますが、それに関しては特にコメントがありません。手段としてネットの活用は良いと思います。
それよりも、自然言語処理の発達の方が個人的には面白いテーマだと思ってます。technoratiでもkizasiでも良いんですが、ブログ検索で先を行っている技術を、上手く生かしていけば、翻訳の方もある程度完璧なものになるでしょう。形態素解析なんかは、今のcomputer scienceの分野でモットもHotな話題の1つでもあるでしょう。

┏┓
┗福井さん

日本の作品がハリウッドなどの大御所からオファーが来た時に、まともに契約書を読まずに締結してしまうという話が印象的でした。日本の契約書をよく読まない風土・契約の内容を交渉しない風土が良いか悪いかは別として。それに関して、「空気を破る」というお話が最後に出ましたが、その話は「空気を読める」というのが前提だと感じてます。「空気を読めない人」が「空気を破って」も全く以って意味無いですからね。

福井さんはフォーラムで一度お会いしていましたが、凄いパワフルな方でした。良い意味で弁護士とは思えなかったです。

5月21日ゼミの感想

■News Clipping
僕にとって最も印象的だったのは「ネットと政治」でした。
ネット投票については、あまり賛成できませんが、インターネットの発展と普及の選挙運動に変革をもたらす可能性は大いにあるだろうと考えられ、公職選挙法の現状への対応が急がれると思います。
(先の東京都知事選でもとある候補者の政見放送がYoutubeにupされ、選挙期間中もネット上で放送され続けたことがありました。)

ネットが政治活動に用いられることで、変化する可能性として挙げられるのは①投票率の改善 ②立候補者間の資金格差是正 ③劇場型選挙の終了
まず、投票率に関しては有権者の問題ということになりますが、ネットの「素晴らしさ」に傾斜した考え方をすると、「興味を湧かせる手段が増えるわけだから、投票率は上がるだろう」という解釈になる気がします。
投票率が上がると、政治のダイナミズムも変化するので、注目です。
立候補者間の資金格差は、ゼミの中でも話が少し出ましたが、ネットでアピールできることで、資金不足の候補者でも是正できる問題として、注目できると思います。

で、個人的にもっとも重要だと思うのが、3点目のこれまでの劇場型選挙の終了です。
2005年の衆議院議員選挙は「小泉劇場」(テレビを利用してアジェンダセッティングをして、「重要な論点」をわかりやすく示し大勝。)と評されるほどのものでした。
これが、ネット政治が拡大することで、有権者への情報の編集・管理がなされなくなり(あくまでポジティブな解釈)、有権者は「知りたいこと」を自由に得られる、またより自分の政治的立場に近い候補者に投票できるようになると思います。


■福井さんとのセッション
海外との契約交渉に向かう日本企業の問題点が印象的でした。
たとえ、世界に広がることがよいことで、それができるのならばどんな不利な条件でもかまわないという制作者の気持ちを契約交渉相手に察せられずに作品本来の価値を正当に評価されるようにしなければならないということが、これからジャパンコンテンツを世界に売り出していく上でも重要なことであるのだなと思いました。

著作権保護期間延長問題もそうですが、大事なことは、その作品が本来あるべき姿で正当に評価されていくことであって、より大きな議論を尽くしていくべきだと思いました。

2007-05-22

ゼミの感想

 NCに関して

ついこの前20歳になり、選挙権を持ちました。今年は絶対選挙に行こうと思います。でも選挙に行く八割がたの理由は好奇心です。誰がやっても変わらないだろうという気がしてます。何かほかのイベントがあったらそっちにいってしまうような気がします。来年は選挙の日さえ忘れてしまいそうです。そんな自分でもインターネットはほぼ毎日使います。ネットで投票できたらきっとします。投票日が近づいてきたらネット広告が出るというのはどうでしょうか?クリックするとそのまま投票に向えるようにします。全員のマニュフェストを読まないと投票はできません。全員のブログにもそこから飛べるようにしておきます。最後は厳重なセキュリティのもと投票。そういう時代になったら、出口調査は消えてしまいそうですね。出口調査の代わりに、各立候補者のブログへの入場数が事前の当選者予想として注目されるようになるかもしれません。ゲーム感覚で良くないかもしれませんが、そもそも選挙ってゲーム的な要素が多く含まれている気がします。足で攻める政治家、ブログで攻める政治家、時代の変化と共に戦い方が多様になっていってもいいと思います。一人でも多くの人が政治に参加することは民主主義にとってプラスだと思います。

 福井さんのお話を聞いて
「バランスが大事」というのが印象に残ってます。世の中には是非のつけられない問題が数え切れないほどあると思います。著作権もその一つで、私たちはバランス保ってその一つ一つを見ていかなければいけないのだと感じました。
お食事会のときの福井さんの「オヤジ論」に感動しました。どんな子供に育って欲しいかという金先生の質問に対し、健康であること、自分の楽しみ方を持っていることの二点だけを答えていました。学歴のすばらしい福井さんはもっと子供に対してこういうことをして欲しいというのがあると思いましたが、意外にもこの二つだけでした。そもままぶつかる、それが間違っていても信じてやるしかない。そのようなことも確か言っていたような気がします。自分も高校くらいから、大学受験よりも大人になることへの恐怖を感じていました。いまでも、よく自分の親はよく俺をここまで育てたなと思います。自分は一人の女性を愛で、結婚し、子供をうみ、20年も育てるなど100万年早い気がします。親はきっと福井さんと同じように手探りで育てていってくれたんだと思います。自分の親からは聞くことのない「子育て論」を聞くことができちょっと熱くなりました。金先生と福井さんの大人の男トークはかっこよかったです。本当は混ざりたかったんですが、レディースの数に圧倒され入るのをためらいました。是非今度!!

ゼミの感想

●全体を通して。

著作権というと、著作権料など利害関係という側面でしか考えてきませんでした。
本を読んで文化創造という新しい面を発見し、そして実際に福井さんの
お話を聞いて、実感することができました。
演劇など、芸術や文化にとても熱心で、現在だけでなく「次の世代」
のためという広い視野をもって取り組んでいる福井さんだからこそ
伝えられるメッセージなんだろうな、思います。

「著作権は、考えていくことに意味がある。」
「自分にとってのバランスを追求していく」

という言葉が印象的でした。
金先生もよく“creative”という言葉を使われますが、
やっぱり考えるということは重要なんだと再認識しました。
NCでの、政治とネットの問題でもやはり、“考える”ということが
ポイントなのではないか、と思います。

電子投票というツールによって、投票率が増加したとしても、
もし有権者の態度が「まぁ、こんなもんでいっか」という感じならば
政治家も、ただの人気取りに走るだけで、
例えば“テレビ用のコメント”の様に表層的な努力しかしないのでは
ないかと思います。

有権者が“考えたり”、仏大統領選じゃないですが、ネット上で議論したり
することが政治におけるネットの利点なのではないかと感じました。

5月21日ゼミの感想

☆感想☆
NC
 今週のNCの中でもっとも印象に残ったトピックは「地方選挙とネット」でした。ネットが選挙活動・投票に活用できるようになると、何が変わるのでしょか。インターネット白書2005によると、インターネット利用者数は7007万人に昇っているそうです。中でも、10代後半から40代まででは85%を超えています。このことから当然ネットが選挙権を持つ人たちだけでなく、10代の人にも選挙に対する関心を高めてくれるのは、私は間違いないと思います。東国原宮崎県知事がブログを開設し、書籍化までされましたが、こうした元々著名な人だけでなく、無名な立候補者も工夫をすればネットを有効に活用できると思います。
また、民主主義とインターネットという話が出ましたが、投票にインターネットが導入された場合、私はインターネットが選挙の民主主義制を崩すことはないと思っています。選挙(投票)・政治に対して真剣に考えているだけが投票に行く形になってしまっている現在の選挙方法は民主主義なのか?という問いの私の答えはYESです。なぜなら、選挙・政治に対して真剣に考えているか否かは関係なく、20歳以上全員に選挙権が与えられ、選挙に行こうと思えば行けるからです。高齢者の方や障害者の方が投票に行けないかもしれない、という問題点はありますがこれはインターネットでなくても解決できる問題に思えます。


「著作権とは何か?」
 今週のゼミでは、弁護士の福井さんに来ていただき、貴重なお話を聞くことができました。中でも、日本の有名な出版物の著作権が、ハリウッドなどからのオファーによって簡単に譲渡されてしまっている、というのが一番衝撃的でした。日本で生み出された作品は、おそらく日本でしか作り得なかったものだと私は思っています。なので、それがまったく文化も違う海外に著作権が譲り渡されてしまうのは、文化を手放してしまうのと同等なことなので、とても残念でした。

 また、私がオリジナリティとクリエイティビティについて考えたとき、こう感じます。情報社会となった現在、膨大な情報がインターネットの世界に溢れています。私たちは何かしようと思ったとき、まずインターネットで情報を検索しています。自分の考えがまとまらないうちに、インターネットで検索し、他人のアイディアや考えなどを得てしまい、オリジナリティもクリエイティビティもなくなってしまうと感じています。まず自分の意見を考え発想していくことが、オリジナリティとかクリエイティビティにつながっていくのかな・・・と考えます。

今日のゼミを通して

昨日もとってもゼミ充実していましたね。
来週が楽しみです☆。・:*:・゚

NC

今日のNCで一番面白いなと思ったNCはネット選挙、特にネット投票についての議論です。
ネット投票(ここでは空間・時間を制圧しない自宅からの投票をさす)は、

  • 選挙費の大幅な削減
  • マニフェスト型選挙
  • 集計コストの削減
  • 若年層や都市の有権者の投票率が上がる
  • 海外在住者の投票率が上がる
  • 空間・投票時間を制圧しない(アナログ・デバイドの克服)

と言う点で、民主主義の発展にも適うし、市民からのニーズも高い。人気投票になりがちという意見もあると思うけれど、そうであったとしても有権者がその権利を行使し皆が政治に興味をもつことの尊さはやはり大切にしなければならない。国民投票も18歳からになりそうだし、ネットを駆使して若者有権者をどう取り囲んでいくかがこれからの選挙活動の一つの焦点になるだろう。(だからと言って、有名人ばかりに声をかけて票を獲得しようとするのもどうかと思うけど)

問題点としては、

  • セキュリティ
  • プライバシー
  • 二重投票
  • なりすまし投票
  • デジタルデバイド

って感じかな。個人的にはネット投票が行われるのも技術開発ができるまでの時間の問題かなと感じます。一方、携帯インターネットでの投票はまだまだ議論にも出てないようなので、まだなのかなっと思いました。もし携帯で投票できるようになったら、1票の重みってメールを出す感覚になるので軽くなりそうですよね。ただ、デジタルデバイドは携帯を利用することにより解消されますね。

皆さん、空間と時間の制約を何処まで許容すべきだと思いますか。1.現在実験されている電子投票(役所まで言ってICチップによって電子投票) 2.自宅でパソコンからの電子投票 3.携帯からの電子投票・・・・・・・電子投票の動きに今後も注目ですね☆。・:*:・゚

著作権とは何か

著作権の話はとても勉強になりました。法律が初めて面白いと感じました。

他方で福井さんの人間感にとても惹かれました。

「著作権は生きている」という表現をゼミ中にも使いましたが、著作権はその著作者の分身そのものです。その人の守り、且つ文化発展に寄与するように著作権とバランスを考えながら付き合っていく、これが出来るのは(小川さんも使ってましたけど)芸術への底知れぬ愛がなければできないのではないかと感じました。お話していても芸術のことを語る福井さんはとても活き活きして輝いて見えた。特に、演劇のことを語ってくれた福井さんはいっそう輝いていた。

私も福井さんと同じ歳になった時に輝いていられるように、今を精一杯取り組みたいと感じました。勉強は勿論もう少し、自分の大好きなデッサンやダンスに時間を費やしてもいいのかもしれないな・・とも感じました。う~ん・・・

5/21 ゼミの感想 ~福井さん~

【NCについて】
低下の一方をたどる選挙率において、ネット投票は大きな可能性を秘めると思う。
有権者と選挙者を軸に、①ネット選挙活動 ②ネット投票 が起きた場合の効果を考えたい。
第一に、有権者にとって:
①従来の選挙方法(カー演説など、いかに名前を刷り込むことができるか)とは違い、落ち着いてマニフェスト比較や詳細情報を検索することができる(質のある選挙の可能性)
②出向く必要がない(いつでもどこでも=投票率増加の可能性)
第二に、選挙者にとって:
①選挙資金に関係なく、質でカバーできる。量のみの選挙スタイルが変化する(公約重視・多様化)
②選挙率が仮にネット投票により増加すると、政治家もより「民衆全体に選ばれた政治家」としての意識が強まる(政治家の意識向上)
さて、上の議論はpositiveな可能性をあげただけで、どの項目にもnegativeな側面は付随する。票の売買や、気軽にできるゆえの選挙形骸化、など悪い方向も数限りなく予想できる。
が、ある程度のリスクはあっても、実行したほうがいいものもある。
私はネット投票およびネット選挙は、日本の民主主義においてリスクをとっても一回実験的に行ってみたほうがよい方法であると思う。
日本が代表制民主主義をとる限り、直接民主主義国家よりは投票率が落ちるのは致し方ないかもしれないが、近年の投票率は低すぎる。大衆の政治への無関心化は、政治家自身の無関心を招くのではないか。政治家がプレッシャーを感じながら競合(選挙)しあえる土台を整えるうえ必要があると思う。ネット導入は、政治家に「全国民により監視されている」という意識を強めるいい機会であると思う。

【著作権と福井さんについて】
なにかが私の中で変化した時間でした。変化するきっかけをくれたのは、福井さんとゼミ生。
ゼミ生の質問のなかには、それこそ本質をえぐるような質問も多く飛び交い、みんなすごいな~と密かに危機を覚えていた小川です・・・(しゅん)。
さて、福井さんのお話の中には軸がありました。それは芸術に対する敬意といいますか、自分のなかから湧き出てくる情熱というのでしょうか。うまく言葉にはできないけれど、愛のような深いものを私は強く感じて、ものすごく心を動かされました。
模倣とオリジナリティー、共有と独占、どの問題もその都度その都度、法の基準を踏まえたうえで判決は違う。ただ感じたのは、対立する双方に対象物に対する別々の愛(=priority)があり、双方の愛情表現の違いで対立を起こすのかもしれないなと思いました。まあ著作権議論が白熱するのは経済的利益が関与する部分も多いからですけど・・。ですが福井さんの丁寧な考え方・著作物の扱い方から、「愛」というものを連想してしまいました。
また、愛があるからこそ怒りも沸きました(そろそろ愛愛書いている自分が気持ち悪くなってきました)
海外の交渉時では日本側が自らの落ち度で不利な契約を呑んでいることを聞いたとき、海外と日本への怒り。まるで私自身を見ているかのような話だったからかもしれません。私も中学で初めて海外のインターナショナルスクールに入ったとき対等なんてものはなかったです。「空気をやぶり、とりあえずバーンと議論をふっかけてみる」ことが対等への第一歩だということを身をもって学びました。

私に自分の経験で将来何ができるのかわからないけれども、福井さんと今日お会いして、自分自身を大切にして生きていこうと思えました。これから就職活動も始まるし、日本の「世間体」や「噂」みたいもに左右されがちな時期がきますが、どのような状況においても、「自分の頭で考え、心動かされるものに忠実に生きていたい」と思えました。馬鹿正直は馬鹿をみるとよく言われるけれど、そういう人間がいたっていいかもしれない。というかそもそも馬鹿が馬鹿じゃないかはその人自身が決めることで、周りは結局のところ関係ないのかもしれない。福井さんの人生観は正直で輝いていて、私もそんな人間になりたいと深く思いました。
今日お話が聞けて本当によかったです。いらしてくださった福井さん、セッティングしてくださった金先生ありがとうございます。

5/21 ゼミの感想

今日は大変貴重なお話が聞け、自分の中の葛藤まで聞いていただき、充実した時間を過ごせました。
金先生、福井さんありがとうございました。

<NCについて>
今日印象に残ったのはネットと政治です。この記事の論点は、政治家のネット使用により、民主主義がより促進されるかという問題です。意見が分かれるとは思いますが、私は基本的にシステムがある程度整備されれば、電子投票には賛成です。というのも現状として、選挙の投票率が低く、政治に関心のない人が多い中、ネットで投票が可能になることで、より多くの人が政治に参加する機会を得られると考えるからです。その分、政治家の活動も活発化し、少しはこの関心の低い現状を打破できるのではないかと思います。加えて、これから高齢化社会を迎える日本において、電子投票の可能性を探ることは選挙投票率を高めるために必要になってくると考えます。

<著作権について>
私は制作側の視点からいくつか質問をしました。印象に残ったのはバランスという言葉です。盗作とパロディのバランスやUserとCreatorのバランスなど、著作権を議論する場合には両者をてんびんにかけて考えることが重要だということを知りました。また、模倣してオリジナルを超える場合についての議論で、権利を失ってしまうオリジナルのクリエイターが出てくるとおっしゃっていました。これはファッションの業界ではもう既に行われていると思います。パリ・ミラノのコレクションで流れを作ったオリジナルのデザイナーの服が、すぐにコピー専門のデザイナーに模倣され、市場に低価格で流通しています。オリジナルの商品が店頭に出る頃には、もう流行は廃れているというのが現状だと思います。あとは日米間の国際契約の問題で、十分に契約書を検討せずにサインしている企業がほとんどであることを知り、正直驚きました。この件を聞いて、版権ビジネス側の企業が欧米と対等に交渉をする社内インフラの整備をしなければならないと感じました。同時に、ある程度クリエイターの側も権利関係を学んでおかなければならないとも思いました。しかし、この点は最近自分の中でものすごく葛藤しているポイントなのですが・・・。

PS.来週、ゼミ合宿の場所を決めたいと思います。また詳しくはメーリスで流します。

5/21 ゼミの感想

福井さんのお話に、みんなすごく引き込まれていた。
みんなが心を開いて、本当に思ったことや自分の体験を語っているときには、いい顔をしていると思う。
そしてそれは、福井さんが、文化の持つ力を信じて、真摯に話してくれたからこそ。

話の全体を通して、自分なりの方向感覚をきたえることの大切さを感じた。
よりよい作品が生まれたかどうか、よりよい制度設計かどうか、そういったものは社会が判断するもので、時代の文脈に依存する。
けれども、だからこそ、自分が考えて、バランスを見極めることが重要なのではないか。
コンテンツ輸出のビジネスに関しても、同じ。出された条件を飲むという企業のスタンスを変えるべき。条件が合わないからビジネスをしないというのは失態ではない。この当たり前のことをできるようになるためには、自分なりの判断軸が必要。

特に印象に残った話は、一つは親子関係について。
「親が残してあげられるのは、資産でも作品でもなくて、真剣に生きたという姿勢」
これが今日の名言。

二つ目はイベントの成功とは何かについて。
人がたくさん入り、必ず楽しんで帰ってもらうことが一番の成功。
そして、自分がやりたい内容とお客さんを集客できる内容とのジレンマでどうするべきか。
元々興味のある人に来てもらうのも価値がある。元々興味の無い人に来てもらって、考えてもらえたら、すごい。だからこそ、できるだけ多くの人にリーチして、広報・PRを頑張ることが大切。
来てもらったら絶対楽しんでもらうこと。できるだけ来てもらえるように、プロモーションすること。
悩んで忘れかけていたことが、再び見えた気がした。

どちらもすごく本質的なことで、聞いていて胸がジーンとなった。感動した。
私も人の心を動かす話し方をできるようになりたい、と思った。

ゼミの感想

*NCについて
今日のNCの主なテーマは「ネットと民主主義」でした。
人気のない候補者にとって、インターネットは低コストで自分の考え、マニフェストを公表するという点ではとても便利なものです。選挙にかかる費用が莫大なために、政治家は選挙資金集めに奔走し、本来政治家がするべきである勉強に手がつかないという話を聞いたことがあります。インターネットでの選挙が広く一般的になり、選挙資金が安くなれば、癒着や政治の腐敗などもなくなっていくのかもしれないと思いました。

*福井さんのお話を聞いて
自分なりの「バランス感覚」のお話も興味深かったですが、個人的にはサイゼリアでの「子どもの教育」の話がとても印象的でした。「自分の子どもは健康でいてほしい、他人に迷惑をかけない人になってほしい、幸せな生き方を知っている人になってほしい」とおっしゃっていました。さらに、「自分が死んだとき、子どもに残せるのは、頑張って生きていた姿だ」と。それだけで充分なのだというお話をしていらっしゃいました。気付いたら目がうるんで、気付いたら泣いてました。でも、きっと自分の親も誰よりも子どものことをいちばんに考えて、心配してくれいているんだろうなと思いました。「親の期待が重い」なんて思っていた自分はまだまだ子どもだなと、まさに親の心子知らずだなと感じました。自分の親とじっくりそういう話をしたことがなかったので、今度自分が考えていることをぶつけてみようかと思います。福井さんの隣で聞いていたぶん、なおさら、感動してしまいました。

07.05.21 ゼミの感想『バランス』

★感想★
とても有意義な時間でした
「バランス」という言葉が沢山でてきましたが、本当に難しい線引きだと思います
orignalを改変した作品が、originalよりも良い作品ができてしまうことはよくあることです
頑張って最初につくる人への社会保障と、改変し文化発展することの「バランス」は、本当に難しいと思います
FineArtなど、作品が情報化しなく、複製して商品にならないモノについては、もっと著作権を緩くしたほうが文化発展に繋がるのではないか、という感想を挙げたのですが、身をもってその怖さもしっています。
美大でモノを作ることを経験してきて、著作権に関する問題も沢山ありました。人というのは、色々な過去の体験や経験に影響されるものです。それは人の表現も同じです。本当に自分の作品に愛情を持ってる人ほど、自分の作品が盗作されたと思うと怒りを感じ、極端な事例になると、過去には学生が学生を殺してしまったという事件もありました
それが社会の場となり、金銭も関わってくる事例になると、本当に著作権という法律は、表現者にとっても大きな存在でしょう。そんな難しい「バランス」という概念なのですが、「考えることコトに価値がある」という福井さんのまとめ方も最もだと感じました

あと、もう1つ面白いお話をしていただきました。「仕事」と「家庭」のバランスについてです
こちらのバランスの問題も、とても線引きが難しい問題だと、自分は思うのですが、「10年後に自分のなりたい姿を想像し、そうなるために、今はどうすべきかを考える」と福井さんが話されていたのが印象的です
最近、葛藤することは多いのですが、考えてみると、自分が10年後になりたい姿は想像できるので、そうなるために今しなくてはならないことを頑張ろうと思います

★NC★
ネットと政治(活動)の融合、調和は可能だと思った
国民にとって、ネットが情報収集の1つのツールとなっているし、インタラクティブな選挙活動ができる可能性もあるので、ネットは大きな政治活動の場となるだろう
ネット選挙については、とても難しい議論だと思う。「民主主義」にとって、どちらが良いのかという議論は、とても興味深かった。より多くの人が投票行動することにより、政治家の国民への行動も変わってくるという意見をが出たか、その点からするとネット投票には大きな価値がありそうだ。最後に、ネット投票と、今の投票で、結果に違いがでるのかな?と思った。もし違いがでるとするならば、その違いは国民のとってプラスであろうかマイナスであろうか....

ゼミの感想-5月21日

【News Clipping】
ネットのHPやブログなどの情報発信は有効だと思いますし、
ネット投票というのもメリットは大きいと思います。
今までの投票は残しつつ、ネット投票を導入するといいと思います(個人の認証が重要になります)。
その方がより多くの人が投票できて、民主主義は達成されるのではと思います。
選挙は国の方針が決まるともいえる重要なものですから、多少コストがかかってもいいと思われます。
次世代無線通信の話では「新規参入によってInnovationが生まれる」という
先生の言葉が心に残っています。

【著作権について考える】
著作件は「著作者である個人」と「社会」への利益のバランスをとるというのは
難しい問題であるし、本当に微妙な問題だと改めて思いました。
絶対的にここがラインだとか、これが正しいというものがないからこそ
私達はこの問題について考えなくてはいけないし、考えるだけでなく結論を出さなくてはいけません。
福井さんが「静的なルールではなく私達の考える問題」とおっしゃたのには納得しました。

個々の事例で全く結果が変わってくる著作権問題。
やはり、少なくともジャンル別に法を規定するべきなのではないかと再度思いました。

また、アクセス権についてですが、すでに議論されているとは知りませんでした。
勉強不足です。コピーという不正行為は減っても、「情報は世界に対して開かれるべき」という考え方
に反してしまうという点が私の思考では追いついていない部分だったのでお話が伺えてよかったです。
本を立ち読みしないで決める、何事も見ないで決めるというのは難しいことです。
このように考えると、著作権ではなくアクセス権にするというのは
あまり現実的ではないのかという気もしてきます。

福井さんは好きな事(=芝居)を追求しつつも、それと現実との接点を上手くみつけていて、
しかもそれをスマートにこなし、素敵な生き方をしているなと思いました。
またお芝居について語られる時、目が輝いていたのが印象的でした。
何かひとつ熱くなれるものがあると人は幸せになれるような気がします。

2007-05-21

5月21日ゼミの感想

【ニュースクリッピング】
ネットと政治に関する記事について、ネットという手段が増えてその結果(良いか悪いかは別として)票が増えたとしたら、政治家にとってよい刺激になるのではないかという意見になるほどと感じました。ただ、投票率の低さというのは投票の手段が増えただけでは解決しないのではないかという疑問がありますが、新しい手段がでることで状況改善のきっかけが生まれるかもしれませんね。

【ゲスト】
今回のゼミで著作権について話し合ってみて、著作権法というのは非常に「バランス」が大切な分野なのだと知りました。そしてそのバランスに関する問題というのは今も問われ続けているとわかりました。

ただ、法律と言う国家権力が決めてはならないことは存在し、それは「作品の価値」の判断である
というのには納得できました。

たしかに、例でも挙がっていたゴッホや宮沢賢治は彼らが生きている時には評価されていませんでした。この2人以外にも有名なアーティストやその作品が発表当時には全く評価されなかったというのは珍しいことではありません。

アートは社会によってその評価が変化するというのは、前にも先生が言っていたような気がします。

また、日本の企業が、欧米との契約の際非常に不利なものであっても、結んでしまうというのは、とても損なことだと感じました。しかも、その風潮は意識を少し変えるだけで改善されると知り、日本企業の「交渉の滞りは失敗」とする考え方をうまく啓蒙すれば、もっと発展できるかもしれないなと思いました。

福井さんのお話はとてもわかりやすく、食事会では著作権以外に関することも聞けてとてもよかったです。

ゼミの感想-5月21日

 今日のゼミの感想は一言でいってカオスでした。

 ワイマックスの事はSFCの授業で聞いたことがあったので、自分の思っていたイメージをより明確にしようと先生の言っている内容を理解しようとしたのですが、まず周波数が希少だということを初めて知り、周波数が国ごとに割り当てられたものだと言う事も知りませんでした。私がいま使っているネットやケータイがその割り当てられた周波数のごく一部だと解釈したのですがそれでよかったんでしょうか?またケータイに関して言えば日本の垂直統合的なつながりと、アメリカ(欧米?)の水平的つながりはどちらが良いとは一概に言えないグレーゾーンだと感じました。実際端末と契約相手が違うことでもっと端末の性能がよくなる一方で、垂直統合だと有利なサービス(電話帳をあずけるサービス)もあるので片方しか知らないのになんとも言えないなと思いました。
 
 福井さんのお話も「バランス」を考えることは文脈によって変わるから結局グレーなのかと感じました。この意味において「社会的実験」なのかなぁと思いました。だからパロディもオリジナルを排除するのではないし、パロディはパロディとしてひとつの作品であって、それを良し悪しで判断するのは利害関係における「バランス」やパロディの「程度」であり、まさにグレーだと思います。評価が時代によって180度変わってしまう事がありうるのも、評価というものが文脈によって決まるから相対的なものでグレーなのかと。
 サイゼリアで教育についてお話していた時に「死んだときに残すものは資産ではなく、子供があれをやった時に怒られたとか、親父が悩んでいた姿を見たとかそうゆうもの」だとおっしゃっていました。つまり、親が子供に残すものは物質じゃなくて心なのだなぁと思い、これは著作権でいうクリエーターとその作品の関係につながると感じました。「文化(芸術?)がすごいのは、何時間討論しても意見を理解できない人に作品ひとつを見せるだけでその人を変えることができる力をもっているから」だというのは、「変える力」が親の子供に残したい「こころ」であって、もしクリエーターの手から離れていったとしても、親が死んでしまったとしても、「変える力」や「こころ」が生き続けてくれることがクリエーターや親の喜びや幸せなのではないかと思いました。親子の関係は、クリエーターと作品の関係にとても近いのだと思うと、著作権はその「こころ」を守るためにあるのではないかと思いました。
 
 今日は全体的に「こうでもあれば、ああでもある」といった第三の立場を学んだ気がします。ブログよりも何よりもこの世の中がカオスなんだと感じました。そんな私も今頭の中がカオスで整理がついていない気がしますが、素直な感想です。

「著作権とは何か~文化と創造のゆくえ」

○感想

「著作権は何のためにあり、何のために守られるのか」
という視点で、多くの具体的な事例を取り上げていたので
わかりやすかったです。
最近のニュースに、音楽業界の著作権使用料が減少した
というものがありましたが、私にとって著作権とは、
“お金が絡むもの”というイメージばかりでした。
なので芸術文化を育むという壮大な実験である、という下りは
とても印象的でした。

ネット上ではYou Tubeなどが問題になっていますが、しかし、
ユーザーの需要があるため、他メディアのコンテンツを
流しているのでしょう。その背景にはコンテンツの
著作権に関するユーザーの問題意識や危機感が、
クリエーターや著作権者に比べると、強くないという点が挙げられます
しかし、この背景は以前からずっと続いてきたことです。
現在、これほどまでに著作権が議論されるのは、特別な人だけでなく
一般の人々までもがデータをネット上で「私的に利用」し、表現している
からだと思います。

文化創造と権利のバランスをとる為には、ユーザーの視点や利便性も
考慮にいれて「著作権は何のためあるのか」を考えていかなければならないと
思いました。

「私的な使用」の限界について、現在のネット上の問題とユーザーの関わり
について考えていきたいです。

2007-05-20

「著作権とは何か」を読んで

【感想】
今回「著作権とは何か」を読んで、大きな枠組みがわかってよかったです。
まず著作権が現在の世の中でなぜ重要なトピックとなっているのかを考えてみました。
それは、情報化社会が急速に発展して、インターネット、パソコンなどで
著作物を作ることも利用することも簡単になったためだと思います。
かつては芸術家や出版社、映画会社などの一部の人だけの問題だったのではないでしょうか。
誰もが著作物を作り,利用できる時代だからこそ考えるべきことなのだと思います。

【改善すべきまたは取り入れるべきだと思うこと】
現在の問題に柔軟に対応していくには法の変更が必要だと思います。
そもそも著作物は視覚や聴覚で知覚されることで、
そのものの価値が発揮されるのではないか思います。
しかし、「知覚する行為」を権利として認めても美術品など
権利行使を行うのは難しいものもあります。
よって、知覚以前のコピーなどの権利を認めているといえます。
では、デジタル化されているものはどうでしょうか。
情報へのアクセスを制限する事で「知覚する行為」そのものを
コントロールすれば、コピーの不正がなくなると思います。
ですが、これはデジタルのものにしか通用しません。
このように、デジタルである著作物、出版物、美術品など
それぞれのパターンに応じて著作権法は変更されるべきだとも思います。

【気になった点、疑問点】
ある作品がオリジナル作品を模倣したとしても芸術的に上回っていた時、
それは著作権を違反したと言われてしまうのかということです。
著作権が芸術文化活動が活発に行われるために存在しているのならば、
この場合は許されるべきなのではないでしょうか。
ピカソはいろいろな画家に会っては、いいと思った作品を分析し、模倣し、
それより優れたオリジナルへと昇華させていきました。
“Good Artists copy, Great Artists steal”
(=優れたアーティストは模倣するだけだが、偉大な芸術家は盗む)と言っています。
彼の才能によって、そのパクリともいえる作品は元の作品を越え、
むしろ美術の世界でスタンダードとなっています。
著作権によって守られるべき部分も必要だとは思いますが、
より素晴らしい作品は世の中には出るべきであるし、
芸術の世界は優れているものが勝る世界なのだから、
何もかも著作権法で縛り上げてしまうのはよくないと思います。
しかし、芸術における線引きはとても難しいとも思います。
どのように線引きしたらよいのかまだ考え付きません。
みなさんいい考えはありますか?

著作権とは何か

(感想)

よく耳にするにも関わらず、きちんと勉強したことのなかった「著作権」。
今回その絡み合う複雑さや曖昧さについて向き合うことができた。
中でも、複製における源泉徴収の話には「へ~っ」と思った。

著作者の権利や創作者のインセンティブは守られるべきであると思うが、そればかりが重んじられる故に次の表現活動への制限が厳しくなりすぎてしまっては「芸術文化活動が活発に行なわれるための権利」という著作権本来の存在意義・目的と異なることになってしまう。
もっとも、普段社会の中で感じられる著作権というものは、それを盾にした金銭的な損得で著作権が考えられている気がしてならないが。

(議論したいポイント)
・Googleにより表示される検索結果はそれ自体アイディアか、毎回異なる創作物か(また誰の創作物か。)→事情はあれ、国・地域により表示結果にGoogleが手を施すことについて。

・p60ファースト・セールについて:著作権者にとってのamazonの存在は?

・アイディアと表現(創作物)を切り離して考えることについて。
アイディアに肉付けした作品を著作物なのに、そこで権利を独占してしまうことによって次の可能性を閉ざしてしまうことにならないか。

・ナップスターやウィニーが駄目でYoutubeなど動画共有サイトが摘発されないのはなぜか。

・著作権が社会の中で効果的に働くために時代や世の中の動きに伴う見直しについて。

「著作権とは何か」感想及び議論したい点(再投稿)

※前回の投稿は、削除しました。

具体例を多用してあり、とてもわかりやすい本だと感じました。ただこの本で全く、あるいはほとんど解説されていない部分もあるようなので、これを読んだからといって分かった気になるのはどうかと思いますが…。

さて、「今後求められる著作権(あるいはコンテンツの製作者サイド)を保護するしくみは何か」というのが、議論したいポイントです。
かつてビデオデッキが登場したとき、アメリカの映画会社などは収入の減少を恐れて裁判を起こした、が、現在ではそれを積極活用して売り上げを伸ばす方向に転換した。そして現在、かつて高額だったCD-RやDVD-Rが値を下げ、多くの人が自分の作品をCD化、DVD化できるようになった一方、海賊版や違法コピーの流通が問題になった、という話が載っていました。
ただ現実には、それらをすべて規制するのはかなり難しいような気がします。
かつて「コピーコントロールCD」というのが流行りました。音楽CDをパソコンで再生したり、ハイドディスクにコピーできなくすることで、違法コピーの流通を防ぐのがねらいだったはずです。
しかし、iPodなどの携帯プレイヤーが普及すると、かえって不便さをもたらすようになり、CDの売り上げが減少した一因とも言われるようになりました。現在では、多くのレコード会社がコピーコントロール(やレーベルゲート)から撤退しています。
この問題は、安易な規制がよい結果をもたらすことはないことを暗示しているような気がします。

そこで今後、どのように製作者を保護すればよいのか、みなさんの意見を聞きたいと思います。
私は、「サービスに差をつける」というのが有効ではないかな、と考えています。
つまり、音楽ファイルそのものはiTunesなどで手に入れることができるため、CDを購入した人のみ特典映像を見られたり、コンサートの招待や音楽番組の観覧などができるようにしたり(レンタル版にはそういったサービスは設けない)といったように、正規版CDを購入するに足りるようなサービスを設ける、ということです。